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[No.219]「増量ライン」の祟り 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/07/13(Fri)-21:23
Ich weiss nicht was soll es bedeuten

はるか昔のお話です。
はい、それは今を去ること二十余年前。
まだ「動物園前駅」の駅前に、コンクリートの城壁が
燦然と立ちはだかっていた独逸の地に住み着いていたちすは、
帰国を前に思い悩んでおりました。
それは「お土産」です。
出国時には「うまく行けば一方通行」を目論んでいたちすでしたので、
お土産なんてものは思ってもいなかったワケなんですが、
いざ帰国となりますとそれなりのモノは考えなくてはなりません。
それも通常のモノに加えて、ご贔屓いただいた方に、
「気持ちが充分にこもった(ような)お土産」を・・・
しかし、そんなモノは簡単に思いつかないし、
そもそもが滞在時のお給金のほとんどを飲み倒してしまったちすです(笑)
思い悩んだ末、ふと思いついたのが住み着いていたデュッセルドルフを流れるライン川。

さてさて、帰国を控えたとある休日。
ライン川の川岸に立ったちすはコーラの空き瓶にヒモをしばりつけ、
「ドッポーン」・・・と。
お部屋に帰り、採取した「ラインの流れ」を
シェィブローションの空き瓶に詰めて準備完了。
つづいて、駅前の三越百貨店に行って欧州っぽいデザインのかかれた
ガラス製の塩入れを大量に買い込んで、コイツも梱包。

はい、お判りですね。
日本の観光地でよく見かける「○○の水」とかって土産モノを
作っちゃおうと目論んだのです。
えー、勿論ですがホントは土や水は持ち帰っちゃダメです。
だもんで、原料をカモフラージュしたって次第(笑)

さてさて、無事にシェィブローションの空き瓶も
取り上げられる事無く帰国したちすは、
早速「土産物作製」にとりかかりました。
前述の「塩入れ」なんですが、向こうはテーブルの上に
調味料入れを置く風習がありますので、なかなかに凝ったものが多く
一見したらとても調味料入れに見えないものが多々あります。
そういう類いを大量に買い込んできたワケです。
ただ、フタだけは使えませんのでこれはコルクのフタの適当な
大きさのものを買ってきて付けることにし、
いざ「独逸土産。『ラインの流れ』」を作り始めたのですが・・・
なんと、水が足らない・・・<(冷や汗)
目分量で計算したのと大きく違って必要量の半分程度しかない・・・
「うーみゅ・・・」
今さらお土産の数量を減らすことはできません。
なんたって、重量制限ギリギリで持ち帰った荷物です。
あ、勿論ですがこの重量の原因はちすが自分の為に買った
ライカのレンズとハーモニカの重量なんですが・・・(笑)

とにかくっ!目の前に並ぶ8本の小瓶をラインの流れで満たさなくてはならない。

 <いや、こうなったらラインの流れでなくっても・・・>
 <なんて事を言う。そこいらの水で増量などと言う事が許されるか!>
 <わかっている。しかし事は灸を要しているのだ。背中が燃えているのだ>
 <それは灸を誤植しているせいだろう。しかし、確かにシッポに火はついている>
 <やはり増量しか・・・>
 <いやしかし・・・ををっ、そうだ名案がある。日本にも「ラインの流れ」があるぞっ!>
 <「ラインの流れ」??>
 <そうだ、国道越えた先の橋のところにだ。>
 <何をいう。あれは「荒川」であろうが>
 <その「荒川」上流はどこだ?>
 <どこだって・・・そりゃ街を越え、野を越えて秩父に・・・ををっ!「ライン下り」>

と、言う事で「ここは三国同盟じゃーっ!バスに乗り遅れるなぁ!!」
 <(またそういう事を・・・)
「をや、なんでこんなところにメガネザルが??・・ををっ松岡クンではないか」
 <(だからぁ)
とにかくっ!、「日・独ラインの流れ」の合体により、ちすの手元の「ラインの流れ」は
一気に200%の増量(当社比)となったワケでした。

おかげで無事にお土産を配ることとなったちすですが、
「ラインの流れ」やはりウケました。ロマンありますからねー。
もちろん疑われる余地もなく・・・(笑)
ただ、そのうちの1人が・・・
 「ねぇ、この水って飲める?」と・・
 「いや、そんなキレイな水じゃないからお腹コワスと思うぞ」
 「でも、舐めるぐらいならいいでしょ」
 「そりゃ毒物じゃないからいいと思うけど。なんで?」
 「ほら、よく言うじゃんかぁ。その土地の水を飲んだものはその土地に帰るって」
 「はぁーっ??」
 「アタシ、いっぺんドイツに行きたいんだよねー。だからオマジナイっ!」
心の中で「えぇいっ!おにょれはイザナギかぁっ!ペルセポネーかぁっ!!」
と毒づくちすでしたが、まぁこれもロマンってやつで、「やってみれば」と・・・

懺悔します。
その後、いろんな所に渡航した彼女なんですが、何故か独逸の土だけは
いまだに踏んでいません。
どういうワケがトラブルが起こっちゃうんですネ。やはりこれは
「増量ラインの流れ」の祟りではないかと思うちすでして
・・・ここに懺悔を・・・

気をつけよう。甘い言葉のネコ土産(爆)

[No.218]社窓にて 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/06/26(Tue)-21:41
On the Beach at office

梅雨真っ盛り。
地上50mを越える職場あたりでは、まどの外は飽和水蒸気が気中を埋めていました。
地上に近いあたりにお住まいの方々は飽和水蒸気を
「霧があがる」と言われます。
ちすの育った六甲山麓では「雲が降りる」って言います。
同じものでも表現が違いますネ

梅雨時の朝、空気にミルクをぶちまけたような中を歩いていると
思いを馳せるのが愛してやまないカンブリア紀の地球。
地は濃厚な二酸化炭素と飽和水蒸気に満ち、
海は食物連鎖という新しい秩序の中初めて進化という道をたどった命の力が爆発した時代。

現在、地球温暖化とかって
環境破壊がこの星の命を蝕んでいるかのように騒いでおられる方々を見受けますが、
この星の命を蝕んでいるのは
自然が容認する量の倍近くの数に繁殖してしまったシッポの無いケダモノと言う事を
皆さん忘れようとしておられます。
よく「大切なものは見えない」なーんて言葉を聞きますが
実は「大切なものを見るのは怖いから見えないことにしている」
だけなんですよネ
46億年。
みんな時間の流れの中に滅んでいったのに、何故ヒトだけは滅んじゃいけないのでしょうか?

いや、156億年の時の流れの中
誰であっても、何であっても、
残せたものは「想い」だけなんですから、それに従うことは
争議屋さん達が大好きな「多数決に従って」いると思うンですけどねー。

社窓の外の飽和水蒸気の色を見ながら
想いをゆらすちすでした。

[No.217]予知夢 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/06/16(Sat)-22:15
Prediction dream

みなさまは予知夢をみられた事があるでしょうか?
予知夢は、身の回りでこれから起こる内容の夢をみることです。
有名どころのお話としては、
 ・リンカーンが、自分が暗殺される夢を見ていたとか、
 ・ナポレオンが何度も見た夢に出てきた薄暗い部屋が彼が最期を過ごした独房そっくりであったとか、
 ・ぐうたら亭主が芝の浜で50両の入った印伝皮の財布を拾った夢を見てドンチャン騒ぎしたとか、
 ・豚がトンカツにされる夢を見て目が覚めたらキャベツ畑にいたとかとか。

予知夢が語られる際によく出てくる話が「デジャビュー」ってやつです。
しかし、予知無を見られる方はこのデジャビューと一緒にされることを非常に嫌がります。
たまたま予知無を何らかの形で記録しておられたときなどは、
「ほらみろ。ちゃんと予知しているんだ。デジャビューなどとは違う」と大騒ぎ。
いや、ちすも予知夢なるものは何度か見たことがあります。
もちろんその中にはなんの記録も残していないで、頭の中で
「これって以前に夢で・・・」とかって思うような明らかに
デジャビューを錯視しているようなものもありますが、
「もしもの際に」とかって記録していたことが起こった場合もありました。

んじゃ、この予知夢なるものをちすが肯定するかといいますと。
絶対にそんな事はありません。いや、そもそも予知などと言うものは、
いかなる形であれ実現は不可能なのです。

さて、予知夢
生き物は起きているときに見た事や聴いた事等々の
刺激情報をランダムに脳に記録し、それを寝ている間に整理整頓します。
この情報の整理中に画像やストーリーの形で整理されたものが夢です。
時おり睡眠中の刺激の整理からも夢の画像は作成されます。
さて、例えばあなたがどってことのない日常風景の夢を見たとします。
普通はこのような夢を見たところで、
よしんばそれが予知夢だとして的中したとしても
日常生活になんの支障があるわけでもありませんので
記録をつけたりされることはないでしょう。
まして、そのような夢は記憶にも深く残るものではありません。
従いましてその夢が予知無であったとして、それが的中したとしても
「あぁ、これって夢で見たような・・・」
と言うことになりますのでそれはデジャビューと区別することはできません。

では、「記録を残したくなる夢」もしくは「記憶に深く残る夢」とは何か。
それは不吉なシグナルをだしている夢に他なりません。
 ・事故にあう、
 ・怪我や病気をする、
 ・身内・知人が不幸に見舞われる。
このような夢を見た場合、あなたはそれを記憶の中に深く残すこととなります。
そして、それが現実に起こったら・・・
きっとあなたはその夢が「予知夢」であったと思われるはずです。
予知夢というのは普段自分が不安だと考えている現象について、
脳が情報を整理しているときに、現実に起った場合を想定して映像化していると言う事です。
高い確率で現実に起って当然なのです。

ここまでお読みになって、
「いや、そんなことはない。とても予想ではわからないような事を
 夢に見た経験があるし、そのような事例も知っている」
とおっしゃる方もおられるでしょう。
しかしそれは「予知した事例」だけを突出して評価しておられませんか?
「特異な夢が予知となった」事例と「特異な夢が夢で終わった」事例を比べて評価したら、
それはランダムな思いつきで予知をしたものと確率的に差異はないと思われます。
 「素人療法で疾患が治癒した」とか
 「マジナイで幸せがやってきた」などという
厄介なモノと大差ないと思われます。

「奇跡は起らない。だから奇跡なのだ。
 現実に起った事象はどのように奇異なものであっても
 奇跡でもなんでもなく、ただの可能性のひとつに過ぎない」
不思議や魔法に理由が見いだせなければそれはただの錯覚です。
神様はどのような事象にもちゃんと理由を用意しておられるのですから。

え゛?
「その『神様』ってーのはなんなんだ?」って・・・
えーっと・・・(冷汗)

[No.216] 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/06/13(Wed)-12:07
Chopsticks

ちすのカバンの中にはいつも箸が入っています。
いや、ちすはなにもエコロジーを熱狂的に信奉しているわけでもないし、
ましてや温暖化にかこつけた原発擁護論者でもありません。

んじゃ、なんでイデオロギーと無関係に箸を持ち歩いているかって言いましたら、
そもそもが、この箸の持ち歩き。二十年来の風習でして、
ひとえに「ちすは箸の使い方が下手」だからなのです。

子供の頃から箸の使い方については厳しくしつけられたちすなんですが、
どうも不器用ってやつでして、
それもなまじっか祖母様に
「背筋を伸ばす。食器は口元に寄せない。箸先汚すは一寸まで」
なーんて言われ続けていたために萎縮してよけいにダメだったようです。
ま、子供なんてそんなものでしょう。
それでも、成長とともになんとか食べ物はこぼさない程度になった頃、
職に就くと共に新たな問題が生じました。それは外食時の割り箸です。
居酒屋や定食屋にあるような
袋にも入っていないぶった切りのいわゆる丁六箸や
半分袋がかぶさっている程度の元禄箸だったらいいのですが、
こいつがきれいに面取りした天削箸あたりだとちょっとヤバい。

時は日本国が贅沢を満喫していた時代でした。
定食屋に毛を三本生やしたようなお店でもつるつると良くすべる
竹の天削箸なんかが出されたりしました。
ましてや、たまにお仕事がらみで高級なお店に行ったりしたら、
もっとすべりのいい利休箸や卵中箸なんかが出てくるわけでして、
「うっぎゃぁーご勘弁をーっ!!」となっちゃった事がたびたび。

そこで給与の策・・・もとい窮余の策として思いついたのが
「恥かかないようにすべらない箸を持ち歩こう」でした。
お食事をこぼすぐらいなら箸を持ち出したほうがよっぽとマシです。

普から愛用しているブランドの若狭塗りの竹箸の短めなものを買い、
先端一寸に軽く紙やすりを当て、
文房具屋のワゴンセールに転がっていた学童用のモノサシ袋を買って
半分に切って箸を入れる。
これがちすのマイ箸のスタートです。
今のように箸を持ち歩く方はそうは多くなかった時代ですが、使用するシーンが
限られていたので人目に付くことも無く、まぁ平和に過ごしていたわけなのです。
ところがこのちすのひそかなお助け箸。
最近のエコブームのおかげで、やたらに「ご登場」いただくことになっちゃったのですね。

最大の問題はビジネス街の食堂
安価な丁六箸。ちすにとってはすべらなくってとっても助かる割り箸を使っていた
ビジネス街の食堂が、経費削減と自己満足の一石二鳥を目論んで、
こぞって割り箸をやめてテーブルの真ん中に塗り箸が突っ込まれた箸立てを
でーんと自慢げに置くようになったのです。
で、この手の箸の「塗り」は食器洗い機の高圧洗浄にも耐える多層ウレタン樹脂。
・・・めっちゃすべります。はい
かくしてちすのカバンからは頻繁に「マイ箸」が登場する事になり、
周囲から「ををっ、先端いってるねー」などと言われることとなり・・・
「いや、全然理由が違うんですって。
 そもそもあたしゃそういうものは得意じゃなくって・・・」
の言葉はかき消されてしまう事になります。
だいたいが塗り箸。使うごとに洗っていたら、よっぽどその方が環境にお悪いんですけどネ。

いいかげんこの流行。みんな飽きてくれないかなぁ。

[No.215]白十字 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/06/09(Sat)-23:09
Houttuynia cordata

6月の草といいましたら、「花は紫陽花、葉はドクダミ」ですね。
ドクダミはこの季節どこでも見られる草ですが、
あの強い匂いのためか嫌われる可哀想な草です。
そうそう、ちす祖母はドクダミを「死人草」とかいってよく抜いていました。
昔、庭先や道端で頓死した犬や猫の死体の周りに生えていたから
と言うのが理由ですが、たぶんこれは初夏の時期によく生える野草の中、
ドクダミが目立ったからであろうと思います。
ま、なんか1つ嫌われちゃうとどれでも悪いことはそいつのせいにしちゃう
ってヒトの習性は、草に限ったことではありませんので(笑)
ドクダミにしたらいい迷惑ってやつですね。

ドクダミには、殺菌・抗菌作用、利尿作用、などたくさんの効能があり、
和漢の世界では、「十の効能がある」薬草って事で「十薬」と呼ばれます。
時代劇などで、傷口に野草の葉をすり込むシーンがありますが、
これにはドクダミが使われていたようです。
ま、実際の撮影ではくさいでしょうから、ドクダミは使われていないでしょうけど(笑)

ちす家ではこの時期、ドクダミのエキスを抽出して、
吹き出物や湿疹の化粧水に使っています。
殺菌効果があって、刺激が少ないのでお肌の弱い方にはおススメですよ。

ドクダミの葉を取ってきて、
海水程度の濃さの塩水をくぐらせてからよく水洗いします。
水洗いしたら、そいつをキッチンペーパーにはさんで丁寧に水気をふき取ります。
ワンカップサイズのホワイトリカー(35度から42度)を買ってきて、
中身をいったん他の容器に移してから、 ドクダミの葉を底に敷き詰めてゆきます。
目安としてはカップの1/3ぐらいの量です。
枚数で言いますと30枚から50枚程度です。
ここに先ほどのホワイトリカーを一杯まで注いで、
空気が入らないようにきっちりとフタをします。
残ったホワイトリカーは適当にご賞味ください(笑)
これを冷暗所に3カ月ほど置きますと、
エメラルド色のきれいな抽出液ができあがります。
葉っぱを引き上げてから、
ティースプーン1〜2杯分のグリセリンかオリーブオイルを入れますと
出来上がりです。
もちろん化粧水としてお顔全体にも使えます。
アレルギー体質の方はマケると困りますのでコットンに取って、
吹き出物や湿疹の部分に使うようにしてくださいね。

雨が降り続くと、ついつい暗い気分になっちゃうこの季節です。
暗い空の下、濃厚な色の葉の中に光る白い十字の花は、
その力をもあらわしているようで、
紫陽花よりも美しい花だと思うのですが・・・


 ♪ドクダミや 闇に抗う白十字♪

[No.214]謎の古時計 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/06/04(Mon)-20:45
Groundfather's Clock

オートハープサイトの新しい練習曲は「Groundfather's Clock」(大きな古時計)
単純な曲だけにいろいろなバージョンが楽しめるので、
課題曲としてはなかなかな選択であると想います。

さて、この歌。
じっくりと歌詞を眺めていると非常に謎の多い曲であることが判ります。
いや、この歌には謎と言うより、
米国の一時代を旋律に語るメッセージが込められているのです。

さて、まず考えていただきたいのは、「大きな古時計」の大きさです。
歌の「チクタク・チクタク」という部分から考えると、
この時計はチクタクというツーカウントのパルスで1秒になっている様子です。
振り子の振幅周期は、1往復にかかる時間ですので、
振り子がその振幅の両端の停止点においてパルスをとるとすれば
この時計の振り子の振幅周期は1秒であるということになります。
振幅周期が1秒の振り子の長さはどれぐらいのものかといいますと、
約25cmです。これに時計の制御系と文字盤を加えますと、この時計に必要な
大きさは60cm程度の大きさであったと考えられるわけです。
するとここに大きな疑問が生じます。

日本語の歌詞の「大きなのっぽの古時計」のみならず、原詩においても
この時計は「My grandfather's clock was too large for the shelf,」
と表現されています。となるとおかしい。
あの、なんでも規模の大きい米国人が「too large」と表現している時計です。
なまはんかな大きさではないはずです。
 ちすは以前米国にて現地の同胞と食事に行った事がありますが、
 彼は麦酒を1リットルのジョッキで2杯頼んだ後に、ステーキとサラダと
 ポテトと、パスタと、フイッシュフライとロブスターを注文し、
 「をいをい、いくらなんでも2人でそんなに食べれないだろう」
 と感心しているちすに向かって、
 「ところで、君は何を食べる?」と聞いてきたので椅子から落ちそうになった経験があります。
とまぁ、そんな風にスケールのでかい米国人が「too large」と表現している時計
これはとんでもなく巨大なものであると想像できます。
巨大な時計にもかかわらず、求められる動力部分の大きさは数十センチ
と言うことは、この時計の中には大きな空間があるという事になります。
では、その空間にはいったい何が入っていたのでしょうか?

ここで、2番の歌詞に注目したいと思います。
 「何でも知ってる古時計 おじいさんの時計」
これが単なる比喩ではなく事実を表現しているとしたらどうでしょうか。
 「嬉しい事も悲しい事も みな知ってる時計さ」
この巨大な時計はこの「おじいさん」の住む屋敷内の動向を逐一把握していた。
もちろん時計が把握していたわけではなく、時計のある部分に把握する何かがあった。
はい、みなさんお気づきですね。そう、この巨大な時計の空間には常に誰かが
潜伏して、屋敷内の動向を監視していたのです。

なぜそのようなことをしなくてはならなかったのか、
これはこの「Groundfather's Clock」と言う歌が作られた時代を考えなくてはなりません。
作者Henry Clay Workがこの歌を作ったのは1876年です。
この時主人公の1人である「おじいさん」はすでに亡くなっていて、
時計は停止していたということですから、
この時計が購入されたのは、「おじいさん」の人生とされている90年より
以前。と言う事は1876年から90年から100年くらい以前に製作されたという事になります。
1876年から遡ること90年から100年といいますと、はい、ちょうど100年前の1776年。
米国は英国に対して独立戦争を起こしております。
つまり、この巨大な時計は独立戦争の直後に製作され、購入されたものと考えられるわけです。
独立戦争後の混乱の中、巨大な時計と言うのは子供が生まれたお祝いに買うには
あまりにも高価なものなのではないでしょうか。
考えるに、この歌の「おじいさんは」独立戦争直後の混乱期に、巨大な時計を
購入出来るだけの資産のある家庭に生まれ、なおかつ生誕の祝いに
高価な時計を購入されるだけの地位が約束されていたという事になります。
独立戦争で巨万の富を得た者達。それは南部の農場主達です。
つまり、ここまでの条件から、「おじいさん」は、
独立戦争直後に南部の農場主の後継者として生まれてきたと推測出来るのです。

すると当初の疑問「巨大な時計」についての謎が解けます。
南部の農場主。当然ながら敵も多かったでしょう。
また、跡取り息子を狙っての誘拐・暗殺等の危険も危惧されたと思います。
そこで、屋敷内に秘密裏に屈強なボディガードを配置し、有事に備える・・・
それこそが「巨大な時計」の本当の目的だったのです。
24時間体制で時計の中で周囲をうかがうボディガード。
背の高い時計の中には拳銃よりも射程距離の長いライフル銃が装備されていた
ことと思われます。

それならばなぜ「時計が止まる」事になったのでしょうか?
屋敷内の安全を護るために必要な時計であるのなら、「おじいさん」が死んでしまった
後もその任務は続けられる必要があるはずです。
ここで、歌の作られた時代をもう一度考えて見ましょう。
この歌が作られたのは1876年。
前述のようにこの数年から10年前に時計は停止した事になっています。
その頃にいったい何があったのか。はい、「南北戦争」です。
独立戦争によって巨万の富を得た南部の「おじいさん」の一族は、
南北戦争の敗戦によって没落し、屋敷を護る必要がなくなってしまったのです。
そもそもが時計の中に潜み、屋敷の安全をうかがっていたのは奴隷達であったはずです。
南北戦争の敗戦で奴隷達が解放され、そのような任務に就くものも
いなくなってしまいました。
いや、ここで3番の歌詞「おじいさんの倒れた朝に・・・」にご注目ください。
「おじいさん」は通常の亡くなり方をしていないのです。
「倒れた」・・・「倒された」
南北戦争の敗戦で奴隷解放の波が屋敷に迫る中、長年の辛い使役からの
開放を願って奴隷達が蜂起。
そして、時計から取りだされたライフルが放った一発の銃弾は
「おじいさん」の身体を貫き・・・
いつしか壊れて停止した時計は修理されることも無く打ち捨てられ、
歴史を伝えるものとしてこの歌だけが残った・・・

こうして、闇を中に包み込んだ巨大な時計は、その秘密を明かす事無く、
静かに朽ち果てて行ったのです・・・合掌

[No.213]肩凝り 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/30(Wed)-22:41
Stiff neck

ここん所演奏三昧の週末が続いたので
派手に肩凝りになっています。

肩凝りの対処にはシップ、マッサージ、針、灸、マジナイ、神頼み、
丑の刻詣り<(をいっ!)
とさまざまな対処法がありますが、ちすの場合
「とにかく温める」事にしております。

考えると当たり前の事なんですが肩凝りって肩の筋肉の
血行が悪くって、疲労物質がたまっちゃっている状態ですから、
どんな方法であっても血の流れをよくすりゃぁいいんですよね。
で、何故かこの「温める」って事をなさらない方が多いのは
不思議です。
で、オススメの「温めグッズ」
それは「シリカゲルのネコトイレの砂」です。
いや、シリカゲルでしたらなにもネコトイレにはこだわりませんが
ちすの知るかぎりホームセンターで1番安価に手に入るシリカゲルが
ネコトイレの砂であるって事が理由です(笑)

このシリカゲル。正体は「シリカのゲル」です<(スパコーン)
よーするにケイ素にたくさん穴が開いていて、水の分子が
つまっている状態です。
ちなみに、この性質によってシリカゲルは乾燥剤として使われています。
さてさて、
こいつを適当な布袋に100gほど入れましす。
キッチンにある電子レンジの扉を開け、中からネコを出して
 <(普通ネコは入っていません(笑))
布袋をツッコミ、
 <(誰です、へっついの布袋さんを突っ込んでるのは)
2分ほど高周波を照射して下さい。
え、「我が家の電子レンジは高周波などという物騒なものは出していない」
って・・・
いや、そもそもその物騒な物を出すのが電子レンジなのですってば。

2分経ったら
シリカゲルの中の結晶水がほどよく温められています。
この布袋を肩に乗っけるワケですね。
ほどよい遠赤外線のポカポカが30分は続きます。
ま、石を電子レンジで暖めたらどれも同じ結果なんですが、
中の水分が多いほど効率がいいですからシリカゲル。
でなきゃゼオライトがオススメです。

ちなみに、ネコトイレの砂は必ず「使用前」のものにして下さい。
でないと電子レンジが使い物にならなくなりのすよー(笑)

[No.212]酔狂人日記 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/30(Wed)-22:39
drunkard ordinary

知人との待ち合わせにちょいと早く着き、
時間つぶしにそこらのホテルのラウンジで麦酒でもひっかけるかなと、
ターミナル前の道を歩いていたら
懸命にアジ演説をしながらビラをまく集団がおられました。
「ふーん・・・」てな様子で見ていたちすに、何か勘違いしたのか
何も考えていなさそうなカモ(笑)が近づいてきて趣旨の説明など始められました。
ま、いわゆる明文化を金科玉条として、崇めたてる手合いです。
普段のちすですと、
「では聞くが、帝国憲法には侵略行為が明文化されていたとでもいうのかね?」
にはじまる論を展開して遊ぶのですが、
相手を観察していて、とある事に気づき「こいつは面白い」と
静かに論説を聞くことにしました。
しばらくすると相手のネタも煮詰まってきた様子ですので、
話を半分に聞きながら唱えていた呪文を発射。
 <(をにょれは魔道師か)

 「ところで話を変えて申し訳ない。あなたのポケットの中に見えるタバコだが、
  それには喫煙者の健康に有害であると事が明文化されていると思うのだが、
  この記載はあなたにとって何か意味があることなのか?」
 「それとこれとは話が違うでしょう」
 「いや、だから話を変えて申し訳ないと言っている。現在討論を交わしている
  相手の人間性を知りたいがための質問だ」
 「人間性って・・・こういうのは個人の自由でしょう」
 「すべて個人の自由と言う言葉で終結してしまうと、意見の違うもの同士が
  討論すること自体を否定する事になると考えるのだが、
  それともあなたは今までの討論そのものを否定するつもりなのか」
 「・・・タバコが自分にも他人にも有害であることは承知しています。
  でも嗜好的な問題で喫煙しているのです」
 「それはあなたが、
  論理的に正しいと認めている事が明文化されているにもかかわらず
  嗜好的理由によって実行できない事があると認めているということなのか」
 「いや違う。そんな勝手なことではなくタバコと言うのは意志があっても
  やめられないものなんです」
 「理解しよう。ニコチンと言う化学物質は習慣性・依存性のある物質だ
  つまり、あなたが喫煙を続けられているというのは依存性物質によって
  あなたの脳細胞が汚染されているという事にならないか。
  残念ながら、依存性物質で脳細胞が汚染された狂人とこれ以上の討論を
  交わすことは論理的に無意味であると考えるので失礼させていただきたい」

と、きびすをかえしてスタコラサッサ。
期待していた「おいこらっ!」
の声も無いのでちょっと物足りなかったのですが、まあまあいい気分で
ラウンジの生ビールがいただけました。
しかし・・・このアルコールってーのも習慣性・依存性のある化学物質だよなぁ。

結局、狂人と狂人の討論に過ぎないか(笑)

[No.211]オカエリナサイ 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/24(Thu)-22:56
Welcome home Your TEIKIN

オートハープサイトのオーナー。リフ様が無事米国から帰られました
おっかえりなさいーっ!
そして大成功おめでとうございますーっ!
すばらしい渡米になりましたね。
トップべージから素晴らしいステージの様子が伝わってきます。

「とうとう日本人のオートハーパーが米国のステージに立つんだぜ」
今回の渡米をお聞きして、ちすが話をしたら、
「へぇーうらやましいよねー」と言われました。
ちすの応えは、
「いや、今回の成功はなにも懸賞に当たったようなモノじゃない。
 あのヒトが自力で勝ち取ったものだヨ。他人が勝ち取った物を
 うらやましがるほどちすは腐っちゃアいないってば」
他人の幸運はうらやんでもいいけど、
他人の成果をうらやむようなヤツはお粗末です。
酒で充分に傷んではいるちすのノーミソですが、
そこいらの狂人のように腐ってまではおりません(笑)

ちすがオートハープに「綴琴」という日本語を当てはめて言い出したのは
もう20年以上前の事です。
見た目の縦と横に部品が重なり合っている様子とともに
オートハープには弾かれた弦の音を他の弦が共振しながら
追いかけるという特徴があります。
まさにメロディを綴る琴。
そして今、米国ではオートハープは「メロディを綴る」楽器として
素晴らしい発展を続けています。

オートハープは米国の楽器です。
日本人が雅楽の調べを大切にするように
 <(実際、大切になんてしてない国民ですけど(笑))
米国人はオートハープを大切にしています。
他所様の楽器を勝手にいじくりまわして適当な奏法を
広めるということがどれだけ失礼なことか・・・
かつて、オートハープをかき鳴らして「演騒」されていた
ミュージシャンの方々には太平洋の方向いて
高山彦九郎先生の真似をしていただきたいぐらいの
日本のオートハープの現状です。

「全ての物を正当な所に」
緑は大地に、大地は空に、空は星に、星は海に、海は風に、風は道に、
道は明日に、明日は夢に、夢は涙に、涙は怒りに、怒りは斗いに、
斗いは命に、命は論理に、論理は知恵に、知恵は求めに、求めは言葉に、
言葉は唄に、唄は音に、音は彼方に。
オートハープは米国人のもの。
彼等が求める音がオートハープの音なのです。

[No.210]無くした風景 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/21(Mon)-22:09
Lost scenery

ちす父の米寿のお祝いのイベントの為に、久々に育った街を訪ねました。
駅前のホテルの中の写真館で記念写真を撮り、食事をしてから、
ご参加の皆様には先に引き上げていただき、父子2人で敗戦前からの建物の
ホテルの旧館ラウンジで杯をかたむけました。
進学、就職、結婚と人生の節目節目で、父と杯を交わすのは
いつもこのラウンジでした。
三十余年、変わらない風景と変わらないグラス。
人は変われど同じ味のカクテル。
あの大震災の後でも、1ヶ月後には補修されて、
復興に疲れた身体に1杯の美味しい酒を提供してくれたラウンジです。

最近、昭和の中期が流行しているそうです。
それをテーマとした映画も作られ、ちすも勉強のためにいくつか観ましたが
いまいち、思い入れが出来ません。
少年期にスクリーンの向こう側と同じ時代を過ごした事は事実ですが、
ちすの記憶にはあんな風景はありませんでした。
駄菓子屋もなかったし、土管の転がっている空き地もなかった。
お好み焼きやたこ焼きを外で食べたのは高校生になってから。
そもそもが外食なんてものを知らなかった。
お祝い事というのは仕出し屋さんがご馳走を持ってきて、
家の座敷でする事だと思っていました。
もちろん農村地帯でもありませんから田んぼも畑も無いし、
草むらもなければ河原もない。
スクリーンのむこうから「どうだ、懐かしいだろう」などど
映し出されている風景は、懐古的ではあるけど、経験した風景じゃない。

いや、「無くした風景」などと言われていますが、
ちすの育った街は、時代を経ても、震災を経ても変わっていません。
坂の道、湧き水の流れ、石垣の続く家。
道を走る車は、年式が違っても同じメーカーの同じ形式で、同じ色。
家々から見える庭の風情も同じように剪定され、同じように碧輝いている。
新たに建てられた家々も風景に溶け込むように彩られ、決して目立たない。
色と形と風景が溶け合い、決して突出しないように造られている。
確かに、子供の頃に電車に乗って出ていった都会の風景は大きく変わっているけど、
育った街に帰れば変わらない風景が迎えてくれる・・・
せいぜい変わったものといえばいつも乗っていた電車が新しくなったこと。
でも、外装の色が変わったわけでもないし、シートの色も変わらない。
車内の宣伝の内容は変わっても、同じ位置に同じようにある。
街を行き交う人の私服は変わっても、
すれ違う生徒達の制服はずっと変わらない。
いったいに何を騒がしく指摘しなくてはならないのか・・・
新しい地域と言っても前述のホテルにつぎ足された新館のようなもので、
元々の街はホテルの旧館を訪ねるように、変わらない時間とともに迎え入れてくれます。

「安普請のホテルはな、土台がしっかりしとらんから、建て増ししたところでそうはもたん。
 いい加減使ったらもぅ建て替えるしかない。
 しゃあけど、土台からしっかり建てたホテルはそうやすやすとはつぶれん。
 だいたいが、ええもんは誰もつぶしとぉないから大切に守ってくもんや」
と、ちす父。
それは建物だけではなく、家具も食器も同じ事。いや文化や芸術や音楽がそう。
結局、大切にしようとする人がいない安普請なモノは跡形もなく変わるしかない。

ただし、安普請なモノは数だけは多い。

戦勝国が持ち込んだ「市民平等」という悪魔は、
思いでを語る為の話題ですらも多数決で決めてしまいました。
大切にするほどのモノもなかった、「景色を無くした」だけの連中は、
今を満喫し、今の幸せを確認するために「思いでの時代」を語る。
それに対して取り戻したいのは暮らしなんだと言う言葉を飲み込まざるを得ない
「暮らしを無くした」少数の人達。

「市民平等」・・・「一人は万人のために」充分に尽くしました。
いつまで待てば「万人は一人に借りを」返してくれるのでしょうか。

[No.209]久々の補足 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/20(Sun)-22:22
Be give

鬼遊笑覧「[No.208]勸君更盡一杯酒」
についてのご質問がありましたので削除するとともに、加筆させていただきます。

鬼遊笑覧は「雑文掲示板」です。
これが、ご質問ではなく杜甫の詩などを掲げていただき、
「なぜ高啓の詩であるか」という意図の雑文を書かれての事でしたら
狂喜してお答えいたしましたが、
内容につきましての質問は、調べれば判るものですので困ってしまいます。
徒然草第三十一段 「雪のおもしろう」の吉田兼好師の気分であると
ご理解いただけましたら有り難とうございます。

まぁ、日々メールなどしたためておりますと、
この段を思いだすことが多くありますので、
鬼遊笑覧にはじまったモノではありませんが・・・。
ましてや、昨今あるのですがそれが敬愛する年長者からの場合、
「ちすの値段はその程度のものであるか」と反省すると共に、
万が一それが無作法からのものであったら
「年長者として許せんっ!」と憤ったりと忙しいわけです(笑)

さて、
いやいやながらの補足としては、
引用は「高啓の「送呂卿」」であると言う事で
由無し事のひとつも雑文をいただければ幸いです。

[No.208]勸君更盡一杯酒 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/17(Thu)-21:28
Knockin' on heaven's door

オートハープサイトのオーナー。リフ様が無事米国に旅立たれましたー。
今のところ旅客機墜落の臨時ニュースは流れていないようですので
 <(をいっ!)
日本時間の明日の朝には世界に名だたるプレイヤーの方々と
セッションをされているとと思います。

日本人がオートハープのステージに立つ。
「イロモノ」扱いのオープンステージは過去数件ありましたが、
正式な記録が残されるものは今回が初めてです。
「いつかは」と夢見ていた事ですがいざ現実になるとなると感慨無量です。
歩みを止めることをしないかぎり天路はかならず輝きの門を
示してくれます。

30年前
高校生だったちすが短波放送で初めて聞いたオートハープのメロディックスタイル。
2ヶ月遅れで購入していたAutoHarp-Magazin誌で
Bryan Bowersというプレイヤーの名前を知り、
いままで聞いていた日本の音が単なるコード崩しにすぎないと知ってから
追い求め続けている奏法です。
帰国されたリフ様がメロディックスタイルを全身で受け止めて、
新しい演奏をお聞かせいただけるのが楽しみです。

 遠汀斜日思悠悠
 花払離觴柳払舟
 江北江南芳草遍
 送君併得送春愁

[No.207]酒席 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/08(Tue)-22:18
banquet

最近宴席が続けて2度ありました。
1度は同世代の方々との語らい。
今一度は年長者の方を含めた懇親。

勿論「年長者がアチラに逝かれる前にいろいろ聞き込む」
のが趣味のちすですから、
楽しんだのは・・・というか酔っていられなかったのは後者(笑)

年長者の方との宴席でちょっと気に障った若輩者の対応がありました。
ご教授を賜っている年長の方に
「ご苦労様でした」と卓越しに徳利を差し、
杯の縁を合わせて乾杯。
返盃を「ありがとうございます」と右手で杯を受け、
あげくに「頑張って下さい」と・・・

はい、「何がおかしい」と思われた方も多いでしょう。

 目上の方に「ご苦労」などと言ってどうするっ!
 卓越しの徳利は失礼っ!。どうしても必要がある場合には、
 膝立てて、左手を床に置いて徳利を目下から捧げ上げろっ!
 そもそも、徳利の注ぎ口を下にして注いでどうするんだっ、
 横から注ぐのが基本だろうがっ!
 乾杯は目上の相手より下に杯を掲げ、その糸尻に縁を合せるっ!
 をいをいっ!ご返盃は両手で受けんかいっ!
 あのなあ、「頑張って」の意味がわかってるのかぁーっ
 そう言うことを目上の方に言うのは一億年早いんじゃっ!!

と。まぁ頭をグリグリ言わせながら吼えたちすでした。
知識としての礼儀作法は備わってていても、その理由を知らないから
実践が伴わない。
もちろんそれは「理由の説明もできない阿呆が礼儀を語る」
事が根本の原因なんでしょうけど・・・

最近よく耳にしますが、そもそも
自分より年長の方に対して不義を持つという考えはおかしいんですよね。
ちす父に言われた言葉に、
「年上は絶対にたてなあかん。
 普通に生きたらお前より先に死にはるヒトや。それだけで充分偉い」
ってのがありまして。
本当にそうだなぁと思う今日この頃。

閑話休題
不惑の年を越えた「若輩者(笑)」をたしなめながら、
たまたま先月末に敬愛するミュージシャンの方と
酒席を楽しませていただいた時を思いだしていました。
「あのとき、粗相はなかったかなぁー」
なーんて考えると・・・無いつもりが多々ありましたねー。
特にやっちゃったの。ちすがその方の後からお店を出ていました・・・
お店の方に出ていただけない場合。先に店を出て
往来の安全を確認するのが若輩者の努め。
「そういえばやっちまったなぁ・・・」と思いながら、ふと気がつくと
件の宴席。ちすが最初にそのお店を出ていました。

うーみゅ・・・奴等ちすで「往来の安全」を確かめやがったな・・・(爆)

[No.206]ハレの日 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/06(Sun)-07:20
Prayer day

端午の節句です。

「節句」というのは季節毎のお祓い。
新年から季節が移り、
日の長さが変わってゆきますと生命活動のリズムが変わります。
そんなリズムの移り変わりに対応してたまってゆく心身の有害事象を
古人は「気」が枯れる・・・「気枯れ」と考えていました。
そこで季節のリズムの変わる時を「節句」としてお祭りをすることにより、
枯れた「気」を補給して、元の状態に甦ろうと考えられました。
これが「元気」ってヤツですね。
もちろん、物理学的には時間は一方向に流れ、
生物学的には生命力は経時的に消耗していくだけですが、
気持的に経過時間を元に戻して次に対するエネルギーを補給してゆこうと言う事です。
古くはこのような祭事を「ハレの日」と呼び、
そういうときにだけに着る特別ないい着物があり
これを「晴れ着」と称していました。

さて、
京に住われている敬愛するミュージシャンのライブを拝聴するために
幾度となく上洛しているちすですが、そのときに必ず心がけていることがあります。
それは「新しい下着」です。<(はい、笑わないっ!!)
幾度となくと言いましても、とってもお高いJRサンですので(笑)
年間10回弱がせいぜい。ちょうど「パンツの替え時」に重なるのもありますが
これもライブの為の上洛を「ハレの日」と考えてのことです。
「今日はライブに行くぞ」の朝、
包装を破り、新しい下着を出して身に付けるとき、
世俗の肩書きではなく、「ファンのちすもん」という
普段と違う肩書きでライブに参加するという、
非日常的な行動をとることで、失われた「気」が回復する。
それに華を添えるのが「晴れ着」ならぬ「晴れ下着」であると考えています。
ライブの客席でお見せできないのが残念です・・・
 <(誰も見たくない・・・いや見せたら叩き出されると思うぞ)
まぁ、いきなり「パンツ替えたかぁ?」などと突っ込まれるともっと困りますが(爆)

と、言う事で密かな楽しみ・・・<(楽しみ??)の新しいパンツ。
ちなみに、困るのはそのミュージシャンがツアーでちすの棲息エリアに来られて、
連日、続けざまにライブの機会があるときでして。
どうも二日目・三日目に燃えきれないのは、パンツが新しくないせいではないかと
思うこの頃・・・(笑)

[No.205]ふるい憲法のはなし 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/03(Thu)-00:01
Experiment On Old Constitution

 皆さん、今日は60年前に今の憲法を守ってゆく事になった日です。
この憲法をこしらえるために、沢山の人々が大変な苦心をなさいました。
だから私たちはこの憲法がどんなにふるくなっても大切にしなくてはなりません。
ところで、皆さんは憲法というものがどんなものか御存知ですか。
自分の身にかかわりのない事のように思っている人はいないでしょうか。
もしそうならば、それは大きな間違いです。憲法は、国をどういうふうに治め、
国の仕事をどういうふうにやって行くかという事を決めた、
国で1番大事な規則です。国を家に例えると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。
これを国の「最高法規」といいます。

この憲法には、国の仕事のやり方の他に、
もう一つ大事な事が書いてあります。それは国民の権利の事です。
皆さんは日本国民のうちの1人です。
日本では国民の1人1人が賢く、強くなければ生きていけません。
劣った人を助けてあげるだけのお金が日本には無いからです。
国の力の元は国民にかかっています。そのため国は、
国民の1人1人に、いろいろ大事な権利と義務がある事を憲法で決めました。
この国民の大事な権利の事を「基本的人権」といいます。

今の憲法の前にあったもっと古い憲法は、明治二十二年にできたものです。
これは明治天皇がお作りになって、国民全体に与えられました。
今の憲法は、戦勝国アメリカの賢い人たちが理想の名のもとに集まり、
戦争に行かず生き残っていた古い日本の文官達と話し合い、説得をしながら
1週間もかかって作成されたものであります。
そして出来上がった憲法を日本の国民全体に守ってもらうために、
国民の代表の方々に与えられました。
国民の代表とは、
昭和二十一年四月十日に行われた総選挙で新しく選ばれた人達の事です。
国民の代表に与えられたものですので、
この憲法は、国民全体が守らなくてはいけないという事になっています。
皆さんも日本国民の1人でありますから、この憲法を守らなくてはなりません。
皆さんは、自分の命を大事になさるでしょう。
この憲法は皆さんを含めた日本国民全体の命を守る為の大事な規則なのです。
その為には、まずこの憲法にどういう事が書いてあるかを、
はっきりと知らなければなりません。

では、この憲法にはいったいどのような事が書かれているのでしょうか。
この憲法には大事な考えが三つ書かれています。
それは「民主主義」と「平和主義」と「人権主義」です。
「主義」という言葉を使うと、なんだか難しく聞こえますけど
少しも難しく考える事はありません。主義というのは、
「出来るか出来ないかは別として、理想的だと思われるやりかた」の事です。
皆さんはしっかりとこの三つの考えを理解しなくてはなりません。
それではまず、「民主主義」からおはなししましょう。

民主主義
この憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。
民主主義とは、いったいどういう事でしょう。
皆さんが大勢集まって、一緒に何かをする時の事を考えてごらんなさい。
誰かの意見で物事を決めますか、みんなの意見で物事を決めますか。
もしもみんなの意見が同じなら、問題はありません。
でも、もし意見が分かれたときは、どうしますか。1人の意見で決めますか。
2人の意見で決めますか。それとも大勢の意見で決めますか。どれがよいでしょう。
1人の意見が正しく優れていて、大勢の意見が間違って劣っている事はよくあります。
しかし、だからといって大勢の人達が1人の意見を聞く事は決してありません。
そのような事が出来るなら最初から間違って劣った意見なんて持たないからです。
そこで、どんなに正しく優れていても少数の意見は無視して、
大勢の意見で物事を決めてゆくのが、1番苦情が出ないという事になります。
正しいか正しくないかではなく、
なるべく苦情の出ないように物事を決めてゆく事が、民主主義のやりかたです。
国を治めてゆくのもこれと同じです。
どんなに正しく優れていても僅かな人の意見で国を治めてゆくのはよくないのです。
たとえ間違って劣っていても大勢の意見で国を治めてゆくのがよいのです。
ただし国は、皆さんの学級とは違います。
国民全体が1つの所に集まって相談する事はできませんし、
1人1人の意見を聞いてまわる事もできません。そこで、皆さんの代わりに、
大勢の意見を伝えあう場所と人がなくてはなりません。
それが国会であり、国会議員です。
皆さんはテレビジョンで国会中継をご覧になった事があるでしょう。
大人の方は「あれでは滑稽中継」だなどと笑って見ておられますが、
滑稽で当たり前なのです。だって国会議員さんたちは皆さんの代わりになって、
大勢の人達の、間違って劣った意見を伝えあっているからです。
そうして国会では、国民の代わりである議員の大勢の意見で物事をきめます。
これで国民全体の意見で物事を決めた事になります。これが民主主義です。
このように民主主義で国を治めてゆけば、みなさんは幸福になり国も栄えてゆきます。

[No.204]ふるい憲法のはなし(続き) 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/05/03(Thu)-00:00
Experiment On Old Constitution


平和主義
皆さんは、今度の敗戦でご先祖様代々守ってきた財産や田畑を
取り上げられてしまったという話をお聞きになった方も多いでしょう。
また、戦争が終わったのに外国の敗戦地で沢山の方々が殺されてしまった
と言うお話もお聞きになっている事と思います。
二度とそんな辛い、哀しいお話は聞きたくないと思いませんか。
あんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。
戦争は人間を減らす行為です。世界の食べ物が足らなくなったので、
食べる人の数を減らすのです。
世界戦争のおこるたびに、もう戦争は二度とやるまいと、
多くの国々はいろいろ対策を考えました。
でも、人は今日食べるものが皆に行き渡ると明日食べるものを、
明日食べるものが皆に行き渡ると来週食べるものが心配になります。
そうして、また戦争がおこってしまったのは残念な事です。

この憲法では、日本の国が決して二度と戦争で損をしないように、
二つの事を決めました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をする為のものは、
一切持たないで、強い国に頼るという事です。
日本には、陸軍も海軍も空軍もありません。これを戦力の放棄といいます。
「放棄」とは、「捨ててしまう」という事です。
しかし皆さんは、決して心細く思う事はありません。
日本は武器を持つより、武器を持った強い国のいう事を聞いて守ってもらうという
賢いやり方を、他の国より先に行ったのです。
世の中に、正義を名乗っている国ぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争い事が起った時、決して自分からは手を出さず。
強い国にお願いをして、代わりにやっつけてもらうという事を決めました。
争いを仕掛けたりすると、日本が争いの出来る力を持っているという事を
ほかの国に教えてしまう事になるからです。そうしたら結局は、
強い国に逆らう国を滅ぼすお手伝いをするような破目になるからです。
また、戦争とまでゆかずとも、武器の力で相手を脅すような事は、
一切しないで、なんでもお金の力で解決するように決めました。
これを戦争の放棄といいます。
民主主義のご説明のとき、正しいか正しくないかではなく、
なるべく苦情の出ないように物事を決めてゆく事が民主主義といいましたが、
これは、一つの国についてだけではなく、国と国との間の事も同じです。
自分の国の事ばかりを考え、自分の国の為ばかりを口にして、
強い国の立場を立てないのでは、
世界の中でうまく立ち回っていく事はできません。
強い国と揉め事にならないようにうまくやってゆく事を、国際平和主義といいます。

人権主義
皆さんは、この憲法で基本的人権という立派な権利を与えられました。
この権利は三つに分かれています。
 第一は自由権です。
 第二は請求権です。
 第三は参政権です。
皆さんは権利と言うと、生きる権利や住む権利や教育の権利などを
思い浮ばれるかもしれません。しかしそのような一方的な要求は、
国にとって大切なものではありません。
 自らが由とした方法で、国に迷惑をかけずに生きていける権利。
 苦情を言いたい時、徒党を組んだりしなくても手続きをふめば言える権利。
 選挙で、大勢の意見を伝えてくれる人を選んで投票できる権利。
そんな国民の権利こそが大切なのです。
さて、このような立派な権利を与えられましたからには、皆さんは、
それなりの対価を国に支払わなくてはなりません。それが税金です。
立派な権利の為にちゃんと税金を支払ってこそ立派な国民といえるでしょう。
そして皆さんと同じ権利を持っている人達と協力して、
権利と要求を履き違えて国に迷惑をかけている人達や
税金を払わないで権利のただ取りをしている人達を糾弾し、
国全体が幸福になるよう、大切な権利を守ってゆかなくてはなりません。

改正
「改正」とは、憲法を変える事です。憲法は、前にも申しましたように、
国の規則の中でいちばん大事なものですから、これを変える手続きは、
厳重にしなければなりません。そこで憲法を改正するときには、
国会だけで決めずに、国民が賛成か反対かを投票して決める事にしました。
まず、国会が憲法を変える事を決めます。それからその内容を国民に示して、
賛成か反対かを投票してもらいます。ただし、内容の解説はしません。
憲法では「示す」事しか規定していないからです。
従って、内容のわからない人はわかっていそうな人のまねをして投票するか、
他人に聞くのが恥ずかしい時には投票に行かなくってもかまいません。
そうして全部の投票の半分以上が賛成したとき、
はじめて憲法の改正を国民が承知した事になります。これを国民の「承認」といいます。
なぜ、こんな大掛かりな手続をして承認を取るのかといいますと、
憲法は国民のもので国民が責任をとらなくてはならないものだから、
憲法を変えた事についても責任を負ってもらう為に、国民の名義で発表するからです。

最高法規
「最高法規」とは憲法の事です。憲法は国の最高法規ですから、
この憲法で決められている事に合わないものは、法律でも命令でも、
一切規則としての力がありません。
このように大事な憲法は、国民全てが皆これを守ってゆく義務があるのです。
皆さん、この憲法は日本国民が他の国に殺されたり、
食べるものが無くなって飢えて死んだりしない為に大切なものです。
私たちは餓えと殺戮を経験した民族です。
それがどんなに悲惨で、哀しい事であるかを知っています。
いかなる手段を用いても、いかなる屈辱を味わっても、
二度とこの国をそのような目に遭わせてはなりません。
私たちはこれからも、このふるい憲法を守って、
日本国が栄え続けるようにしてゆきましょう。

[No.203]トリカブトの日 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/04/26(Thu)-23:18
Aconitum

27日は「哲人の日」
昨年、「[No.151]-哲人の日」でネタにいたしましたように
ソクラテスが毒ニンジンをかじって、七転八倒の末に亡くなった日です。
最期の瞬間、ソクラテスの脳裏には
「ぐえーっ!こんな苦しいなら意地張らなきゃよかった」と、
後悔の念がうずまいていたことと思います・・・たぶん。
いや、それほど「毒」ってやつはトンでもないシロモノでして、
安らかに死ねる毒物なんぞめったにあるものじゃありません。
と、言う事で本年の「哲人の日の毒ネタ」は<(恒例にしてどうする)
我が国では古来から有名な毒「ブス」です。

「ブス」とは何かと言いますと。漢字では「附子」と書きましてトリカブトの事です。
ちなみにトリカブトはその花の形状が舞楽のかぶり物である「鳥兜」に
似ていると言う事でついた名称です。ちなみにちすは「鳥頭」(爆)
また、この「ブス」ですが、
もう一つの使われ方としては顔の造形の不自由なヒト。
主に女性に対しての蔑称として使われております。

さて、古来より、美人の基準が変遷していることは御存知と思いますが、
実はブスの基準の方はほとんど変わっておりません。
「顔のデカイは七転八倒」「色の黒いは七難八苦」ってやつで、
大きな顔と浅黒い肌。
この二点は数百年の歴史を誇る由緒正しきブスの基準です。
そして「附子」の毒。
トリカブトのアルカロイドに侵されますと、
神経系の機能が麻痺いたしまして、呼吸困難で死に至るのですが、
その最期の状態というのは口が半開きとなりヨダレをたらし、
顔がむくんで赤黒くなり、通常の倍ぐらいの大きさに肥大するという、
見事にこの基準に見事に適合した状態を示します。
よーするに「不細工に臨終」してしまうワケです。
で、ここからお顔の造形の不自由な方を「ブス」と呼ぶようになった
というのが定説です。
ちなみに、ご臨終に到らなくてもこの毒素に侵されますと
命をとりとめる事ができても、
顔面の鬱血は残り、赤黒くなったままで、
伝達系の麻痺により顔面括約筋が侵され無愛想な無表情になってしまいます。
はい、トリカブトの毒を食らいますと、
死んでも生き残っても「ブス」になるのです。

トリカブトの毒は現在でも解毒剤が発見されておらず、
致死量以上を口にすると助かる見込みはほとんどありません。
この事から「ブスは死んでも治らない」と・・・(笑)

忍びの世界のエセ話に「毒姫」というものがあるそうです。
これは女性に幼児期から毒を与えて慣らすというモノだそうで、
最初は揺りかごの下に毒草を。次は布団の下、そして衣服の中。
さらに乳にまぜ与え、徐々に毒に慣らしていって、全身が猛毒の状態にして
敵方に女中として送り込むとかってネタなんですが、
勿論ウソです(笑)
そんな事したら肝臓肥大で早々に御臨終です。
そもそもが毒に侵されているって事は、
外見が「ブス」な状態になっているワケですから
女中として雇っていただけるワケなどありません(爆)

と、言う事で
造形の不自由な方に面と向かってブスなどとは言えない昨今、
これからはそういう方を「トリカブトの姫」と美しくお呼びするように・・・
 <(絶対にトリカブトを盛られるぞ)

[No.202]夜と霧 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/04/15(Sun)-01:14
Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager

「今さらこんなネタをどう料理するつもりだぁ!」
の声が聞こえてきそうな今回のお題。
もちろん、今さらまっすぐに向きあうつもりもありません。
ちすが、「少年」と呼ばれていた年代から
何度となく読み返していたこの薄い本の中身を、
横から眺めて観るのもどうかなと考えた次第です。

「夜と霧」というのは、
原題の「心理学者、強制収容所を体験する」の通り、ユダヤ人の心理学者である
フランクル博士が、第二次世界大戦中に強制収容所に入れられていた時の体験を
書かれたものです。

「強制収容所」とは何なのでしょうか?
強制労働、貧しい食料、劣悪な環境、収容者の間の酷い人間関係。「ガス室送り」の恐怖。
そして、先の見えない生活・・・
このような収容所の生活ですが、
視線を変えて我々の周囲に置き換えてみると如何でしょうか?
物理的に比べると比べものにならないような満たされた生活が、
精神的な視点で見ると大差無いと言う事が判ります。

・憲法に謳われる「すべて国民は、勤労の義務を負う」という現実。
・蓄積性添加物が山盛りの食品群。
・汚れた空気、澱んだ水。収入の大半を充てねばならない住居。
・自己を捨てる事までをも強要する対人関係。
・突然収入が断たれる事への恐怖。
「そんな、比べるようなものじゃ・・・」
などと言われている方が、実際このような局面に立たれると
その精神は強制収容所に送られてしまうのが現実です。

ヒトは不幸という絶望的状況に陥ると、以下の段階を経て堕ちてゆくのだそうです。

1.恩赦
 被った不幸が明らかになった時、ヒトは心理的に強いショックを受けます。
 そして、「恩赦妄想」という状況になります。
 あたかも死刑を宣告された者が、処刑の直前まで恩赦される事を空想するように、
 可能性のない希望や奇跡の起ることにしがみつき、
 置かれた事態からの解放を期待しようとします。
 勿論、状況を冷静に判断する無意識下の脳は
 そのような事は絶対にありえないという赤信号を灯し続けています。
 しかし、「恩赦妄想」に陥ったヒトの心はもはやその光は届きません。
 ここで、集団の何割かが「恩赦妄想」の中で潰れてゆきます。

2.慣化
 ヒトはどんなに過酷な事にも、時間が経てば慣れることができます。
 逆説的に言えば、
 「逆境に慣れることができないヒトは生きてはゆけない」ということです。
 例えば「居直り」は、最初の葛藤を切り抜ける事ができれば、
 後は苦痛でも何でもなくできるものなのです。
 もちろん無意識下の赤信号は灯っているでしょうが、その光は
 決して表を照らすことはありません。
 そしてそれでも解決しえない不幸に対して、ヒトは自らを盾のなかに囲い込みます。

3.消滅
 続いて、ヒトは消滅へと移行してゆきます。
 これは外面的には「感情の消滅と鈍磨」。
 そして内面的には「冷淡と無関心」といった状態です。
 これらの心理反応により、ヒトは物理的、精神的な攻撃に対して何も感じなくなり、
 自分の置かれた状況を、
 あたかもテレビジョンの画像を見るかのように淡々として受け入れるようになってしまいます。
 また、消滅は時にヒトに勝利の満足感をも与えます。
 つまり、
 「私が攻撃を苦痛と感じないと言う事は、すなわち私が不幸に打ち勝ったと言う事である」
 と言う自己喝采の状態です。
 ここまで来たヒトの心は、その大半が外部に対して閉ざされている状態と言えるでしょう。

4.比較
 消滅を経ても不幸が続くとき。
 ヒトは比較によって不幸の中から幸福を捜そうとします。
 これは「・・・よりはまだましである」と考える状態です。
 この段階になるとヒトはもう、
 他者の不幸を同情や憐れみと言う感情で受理するという事はできなくなり、
 「他者の不幸を見ることは快感」であるという状態となっています。
 「消滅」を経て不幸に対する感受性を無くしたヒトは、
 自分に対して襲ってくる不幸を単なる障害として受け止め、他者の不幸を見ることで
 「私には幾つかの障害はあるが不幸ではないので幸せである」
 と置き換えようとしてしまうのです。
 「何をしてあげる力もないくせに、他者の不幸を根掘り葉掘り聞きたがる方」
 というのをよく見受けられますが、こういう方々はこの段階にまで堕ちておられます。

5.逃避
 さて、不幸から逃れられないという現実に対し、
 いかなる対処も無駄であると知ったとき。ヒトは未来へと逃避します。
 未来といいましても、
 「時が解決する」「今にみていろ」というような受動的な「未来逃避」です。
 極端に「正義は勝つ」などという妄想に取り憑かれる場合もあります。
 これは、「勝者が常に正義」という事すら見えなくなっておられると言う事です。
 第一段階の「恩赦妄想」に似通ってはいますが、
 「恩赦妄想」の場合、「待てど暮らせど」という現実を突きつけられる事で
 その呪縛から逃れる事ができますが、
 「未来逃避」の場合、他者からの評価という、約束されてもいない事を一方的に期待し、
 「何を制覇すれば解決につながるのか」「何に対して今にみていろと考えるのか」
 と言うような目的意識もなく、
 やみくもに「頑張れば光が見える筈だ」と言う行動に奔りますので、
 潰れてしまうまでその行為を止める事はありません。

ヒトが絶望的状況から浮上するために必要なことは。
「誰かが自分を求めている」「自分はここにいる価値がある」という確信です。
それは自分自身が一方的に決めるようなものではなく、
「あなたが必要です」という意思表示。
「いると便利」ではなく「いないと困る」という評価なのです。
我々は広大な宇宙空間において、限られた時間と僅かな空間に囲まれた
「地球」と言う名の収容所に棲むに過ぎません。
過酷な成育条件は、
それに耐えうるものを次の世代への礎にしようという自然の意志なんでしょう。
「劣悪なるものを排除する」
強制収容所はヒトが運営するようなものではありませんが、
ヒトは自然の運営する強制収容所に対して抗えるような存在でもありません。

「あなたがいないと困ります」「あなたが必要です」
そう言って下さる方はおられますか?

[No.201]イースターエッグ 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/04/12(Thu)-20:49
Easter egg

本年はイースターと花祭りが同じ日という、
おめでたいのかおめでたくないのかって不思議な年でした(笑)。
イースターといえばイースターエッグ。
たまたま、イースター当日に大好きなミュージシャンのライブがあり、
いきなりにカバンからゆで卵をとりだして「どうぞ」
ってやったちすでした。
ま、卵そのものもちょっとレアなシロモノだったのですが、
その場でイースターエッグを食べていただけたのは感激でした。
惜しむべきは「なんで卵なの?」ってツッコミがなかったおかげで
「いや、本日はイースターでして・・・」
とウンチク語る機会を逸したことですが、
これはたぶん「こいつにツッコんだらウンチクをたれるに違いない」
と警戒されたものと・・・シクシクシク

さて、「イースターエッグ」といいましたら
林檎コンピューターのユーザの方々には卵とは別の楽しみが
思い浮ばれるでしょう。
「Finder画面で"option"を押しながらアップルメニューをプルダウン」
とか
「option"を押しながら"ハードディスクの選択」
とか
「optionを押しながらコンパネのモニタをクリック」
とかとかってやつ。
起動時の「謹賀新年」とか誕生日の「HAPPY BARTHDAY」
とかってメッセージに感動された方もおられるに違いありません。
最近のOSではこういう楽しみがなくなっちゃってさみしいですネー。

と、言う事で鬼遊笑覧。
実は何回も「イースターエッグ」に挑戦しておりますーっ。
雑文を逆さから読まれるのもよし、
12文字ずつ並べられるのもよし、
ローマ字に変換するのもよし。
鬼遊笑覧の雑文・題名の中にはたくさんのイースターエッグが
隠されているんですー。

どうか、見つけてみて下さいませー。
「○○の人非人」とか「×××の無礼者」とか「△△の恥知らず」
とかって微笑ましいイースターエッグが到るところにあるはずで・・・
 <(をい、それって呪詛って言わないか(爆))

[No.200]呪詛のススメ 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/03/28(Wed)-21:01
Curse

なにかと対人ストレスの多い現代社会。
人間関係の摩擦によるストレスで毎日が憂鬱である。
「憎い相手をどうにかしたい。捕まらないならこの手にかけてしまいたい」
このような悶々とした状況でお悩みのあなたにこそおススメしたいもの
それは「呪詛」であります。

「そんな、呪詛なんてもの・・・」などとお思いのあなた。
なにも、呪詛は超常的なパワーで恨みをはらすというような
怪しげなものではありません。
呪詛の効果は呪詛のオカルト的な力ではなく、
呪詛をかけられているという精神的な圧迫です。
通常、ヒトは日常生活のストレスや、加齢による心身消耗等で、
発熱、めまい、耳鳴り、疝痛、偏頭痛、悪寒、吐き気、全身倦怠などの
さまざまな身体的有害事象を表します。
場合によっては、悪夢、金縛り、幻覚、抑鬱感、情緒不安定、焦燥感等の
神経症状を伴う場合が多々あります。
また、ご本人の心身症状だけではなく、ご家族の心身症状、ペットの疾病、
職場・住居の変化等の環境的不具合に見舞われることもあるでしょう。
呪詛の目的は、これらの障害の全てが「呪詛を仕掛けられているからである」
と相手に思わせてしまう事なのです。
心身の症状が病のせいであれば医学的治療によって快復の可能性もあるでしょう。
環境の不具合も意図的なものでないのであれば経時的に解決の時がくるでしょう。
しかしもしもこれが呪詛によるものだとしたらどうでしょう。
「我が身に仕掛けられた呪詛を祓わない限りこの境遇からは逃れられない」
という恐怖感。
これこそが呪詛を仕掛けられた者の入り込む逃れられない迷路なのです。

では、憎い相手に呪詛を仕掛けるにはどうすればいいのか?
まさか直接相手に対して
「毎度お騒がせしております。ただいまあなたに呪詛を仕掛けております」
なんて連絡をしたところで相手にしていただけるわけはありません。
また、よしんばそのことで相手の方が思い悩んだとしても、
その場合は刑法第222条の脅迫罪に問われる可能性があります。

さて、皆様は、
「一心に願えば思いが通じる」
などという話をお聞きになった事があると思います。
実際には、思おうが踏ん張ろうがヒトの思念程度で世の物理現象に対し
何かの影響を与えるなどということはありません。
ヒトが一心に何かを願うと叶うというのは、当人が意識的・無意識的に、
願いがかなうような方向の行動をすること。
また、周囲も意識的・無意識的にその方向に協力的に動く事により、
あたかも願いがかなったように感じるというだけという現象です。
呪詛もこれと同じです。
「ただひたすらに呪詛をする」
中途半端な呪詛ではいけません。丑の刻詣りでも結構、蟲毒でも結構。
家の床下にもぐって方貝を埋めるのも一興ですし、
天井裏に釘で目を射抜いたヤモリを打ち付けるもよし。
遠い空から鳶の式神を飛ばすのも大掛かりでよろしいでしょう。
とにかく真剣に心を込めて呪詛を仕掛けるのです。
あなた自身が「この呪詛は叶う」と信じるくらいの勢いで行うことが大切です。
当然ながら形相は変わり。眼光は妖気を帯び、逝っちゃった状態となります。
そうすれば、呪詛は公にしなくてもあなたの行動の端々に現れます。
また、呪詛を仕掛けている相手に対する態度にもその片鱗が見え隠れします。
それはもちろん周囲にも伝わり、明確なものではないが「何かあるに違いない」
というシグナルが灯る事になります。
そして、そのシグナルは呪詛を受けている相手にも・・・
いつしか、
「まさか、最近調子が悪いのって、誰かが呪っていたりしたりして」
などと思う。
でも、そんな証拠はない。でもあいつの様子はおかしい、
他のヒトもそう言っている、目が何かにとり憑かれているようじゃないか。
あいつまさか呪いを・・・いやいやそんな莫迦な・・・でも、もしかしたら・・・

相手の心理状態がこうなってしまえば呪詛は完成です。
憎い相手は、体調が悪くても、忘れ物をしても、道をあるいてて転んでも、
目の前を黒猫が18両編成で横切っても、体重を計るたびに増加していても、
うなぎ丼の上に紀州南高梅干が乗っていても、秋ナスが嫁を食っても、
カラスに歯をひっこ抜かれる夢を見ても、
姑さんが「ご飯はまだかね」と言っても、すべて悪いことは呪詛のせい。
いくら頑張っても呪詛がかかっている限りどうにもならないと思い込んでしまいます。
あとは、静かに自滅をお待ち下さい。

さて、このように効果的な呪詛。
みなさまもどうぞ・・・え゛?ちすですか・・?
そんなちすが他人様に恨まれるような事は・・・
・・・最近体調がよくないんだよなぁ、めまいしたりするし。
この前天ぷら食べたら中身スイカだったし・・金縛りにもよく遭うし・・・
これってまさか呪詛を・・・そんな・・・まさか・・・あ、でもやっぱ。

[No.199]貧民救済私案 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/03/25(Sun)-20:37
「大八洲および南西諸島連合国における貧民の音楽家が、
 その親族ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、
 かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」
(A Modest Proposal for preventing the musician of poor people in
 great eighth Ireland, from being a burden on their family or country,
 and for making them beneficial to the publick.)

この国の街を歩いていると、目の前には憂うつな光景が展開される。
盛り場の街路いたるところに素人の路上音楽家が立っているからだ。
彼等・彼女達はまっとうな暮らしができるような仕事に就けず、
日がな一日うろつきまわり、歌う場を乞わねばならない。

我が国において厖大な量の歌が、
これら貧民の素人音楽家により生みだされている。
そしてその歌は、決して捨て去れられるようなものではなく、
本来ならば国民の感性に訴え、朋とすべき力をもつ名歌と呼ばれるべきものなのだ。
それゆえ、素人音楽家の名歌を、社会にとって健全かつ有用な社会的財産にするための、
公正で、安価で、簡単に実行できる方策を発見できる者がいるならば、
その者は社会にとって望ましい人である。
だが私の目的は、ただ素人音楽家の歌を救うにとどまらず、恵まれない結果になる
名歌の数を減らし、その歌を作った音楽家を実質的に援助することにあるのだ。
ここに私は謹んで以下に私案を提出する。

 かつて私は都で、北方から流れて来た者からこんな話を聞いたことがある。
彼曰く、貧民の素人音楽家の歌は歌を作るためのとてもよい素材になるそうだ。
それゆえ、私は諸君に以下のことを考えていただこうと思っている。
素人音楽家のうち、2割を次世代の職業音楽家用として残しておく。
そして残りの8割は音楽家への道を閉ざし、あたらしい歌が出来ればすぐ、
それを国内の裕福で著名な職業音楽家に売りつけるのだ。
その歌は著名な職業音楽家の作品として発表される。
もちろん、この歌の販売がいささか高価なものとなることは認めよう。
従って、前述のように販売する対象は裕福な職業音楽家となる。
彼らは一般庶民をペテンにかけ、おおいに搾り取る事に忙殺され、
歌を生みだす力はすでに無くしてしまっているが、
新しい歌の価値も必要性も一番理解している。
経済的な利用法としては、歌の一部をつなぎあわす事も良かろう。
歌詞やフレーズを精巧に仕上げれば、すばらしい歌詞や、
別の歌の繰り返し部分として数曲に利用できるはずだ。
これらの作業は著名な職業音楽家の事務所付きの編曲家がすべてこなす。

ここに私案の長所を列記する。
第一に、恵まれない生活をしている素人音楽家の歌が活かされる事である。
 彼らは恵まれない生活ゆえに多くの名歌を産む。これらの歌が、
 それを作り歌ってるのが無名の素人であるというだけで。
 葬り去られてしまうことは大いなる損失と言えよう。
第二に、貧民の素人音楽家にいくばくかの財産を持たせることができる。
 これは素人音楽家が税を搾取できる対象になると言う事である。
 国民は国家に税を払ってこその国民である。税を支払うことで、
 素人音楽家は真の国民となる事ができるのだ。
第三に、街路に立つ路上音楽家が減ることで、彼等がひきおこすであろう
 泥酔者とのトラブルが減少し、その取締りのため官憲を盛り場に配備する
 費用を節約することができる。
第四に、素人音楽家は自分の歌を売ってしまうことで利益を確保できる上に、
 その歌を歌い込み、よりよく育てるという手間から解放される。
第五に、著名な職業音楽家の歌う歌は、カラオケ店にお客をたくさん呼び寄せ、
 その結果カラオケ店の数を増加させ、価格競争により利用料金が下落し、
 盛り場を目的もなくさまよう貧民階級の子女達に安価に棲息する場を提供することができる。
第六に、私案は結婚を奨励する効果も持つ。
 素人音楽家は財産を手にすることで、結婚に踏みきる事を決心するであろう。
 また、国家的にそれを推奨することも一案である。
 すなわち歌を購入する際には既婚者の素人音楽家の歌を優先するのだ。

私には、私案に対して異議申し立てがなされるなどと考えることはできない。
この国においては名歌を護るための他に有効な手段が
無くなっているということを諸君に納得いただきたいのだ。
不当複製を摘発するとか、未登録の歌に課税するとか、
外国の歌の演奏を一切禁止するとか、
国内の女性の過度な傲慢、うぬぼれ、怠け癖、娯楽好きを規制するとか、
国民に極端な倹約と節制の精神を導入するとか、国を愛することを学ばせるとか、
わけもなく自分の良心を売り渡さないように提言するとか、
貧民に対して少しでも慈悲を垂れるよう諭すとか、
誠実、勤勉、熟練の精神を著名な職業音楽家に問いただす、
などという事を私に言わないでいただきたい。
私案に反対して、それよりもっと優れた計画を出そうという
方々には、ぜひ以下の二点を考慮していただきたいと思っている。
第一は、現に存在している、ただ消え行こうとするだけの名歌が
 いかにして栄光と賞賛を手にいれるのかという点。
第二は、国中に歌を作ることのできなくなった著名な職業音楽家が多くいるという点。

私案を嫌い、他の解答を試みんとする善意ある方々は、素人音楽家にこう聞いていただきたい。
あなたは、
合法的にあなたの歌を食べ物の代わりに売ることを、大変幸せなことだと思わないか、
歌を売り続ければ不幸な境遇に陥ることはない、
あとは著名な職業音楽家達がうまくやってくれる。
お金や仕事がなくて賃貸料が支払えなかったり、家族を維持できるだけの食べ物がなかったり、
厳しい天気から身を守ってくれる家や衣服がなかったりすることで、
苦痛を味わうことはもうないのだ。
これがあなたにとってみじめな暮らしを続けていかねばならないという
先の見通しを避けるための最もいい方法なんだが、どうするかと尋ねてほしいのだ。

 私は、我が良心に賭けて、私案を提出するにあたって、
少しも個人的な利益に関心を持っていないことを誓う。
ただ我が国において正当な評価を受けるべき歌を振興し、その歌を生みだした音楽家を
困窮から救い出し、金持ちに若干の楽しみを与えようとしているだけである。
なぜなら私には歌を生みだす若さはすでになく。従って報酬を得ることもないからだ。

[No.198] 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/03/24(Sat)-22:10
unnecessary

お子様と遊んでいた時に、我が家の愛猫の話題になりました。
「○○ちゃん(家庭内ネコ)はなんて種類?」
「日本猫と米国猫の混血だね」
「××ちゃんや△△ちゃんは?」
「日本猫かなぁ?、もしかしたら外国の血も混じってるかも」
「ふーん。雑種じゃないの?」
「雑種なんて名前の猫はいませんっ!!」
ちすの言い方と顔が怖かったからでしょう。
お子様が困った顔で「ゴメンナサイ」と言うのを受けて、
ちすは「雑種というのは種に失礼な言い方なんだよ」と
説明をしました。

「雑」
仏教から来た言葉です。
「そこにあるべきではないもの」・・・
植物博士でもあられた昭和天皇のお言葉とされている名言に、
「雑草という名前の草はない」というのがあります。
その通り、
雑草という名の草などなく、雑種などと呼ばれるようなシッポはいません。

「雑」に対峙するものとして「正」があります。
正とは「要するもの」
「要」されるものであるならば、
それを維持することがどのような困難な条件であっても
それを満たして維持しようと努めていただけます。
「要」されないものであれば、
それを維持することがどんなに簡便であっても打ち捨てられます。
「要」されなかったものが逆境下でも生きている姿。
それを比喩して雑草の美学というのなら、
それはただ生きているだけであり、決して活きている姿ではありません。

「雑」にならない事。
それは、己を「要」と認めてくれた相手に己が持つものの全てを尽くす事。
それこそが「名」を大切にするという事です。
「長靴をはいたねこ」が命をかけて主人につくしたのは。
「雑」とされるべきところから名と位を与えてくれた主人に対する
感謝と奉仕が理由だったのでしょう。
シッポ達。
彼等は奉仕と言う名の階級章を生まれながらにいただいた戦士ですから。

ただ、現在いかんせんとするものは。
ヒトが作った、「雑」と呼ぶべき卑しいものが沢山存在することです。
「雑団体」「雑宗教」「雑サイト」「雑ブログ」「雑掲示板」「雑コミュ」
「雑文」・・・あ、ヤバイかも・・・

[No.197]一杯の珈琲から 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/03/19(Mon)-22:31
Der kleine Grenzverkehr

珈琲が苦手です。
味が嫌いとかってんじゃないんです。文字通り「苦手」。
何が苦手かと言いますと「味の善し悪しが判らない」
いやもうそれがハンパじゃなくってね・・・
なんちゃら山のテッペンに5年に一度実る珈琲豆を半日かけて焙煎したものと
鍋にインスタント珈琲と水入れて、泡ブクブクと沸騰させたモノを出されても
「美味いか不味いか」程度の判定しかできないぐらいにダメなんです。
あ、そりゃあ味の違いはわかります。
いい珈琲は苦くもないし酸っぱくもなく、すんなりと喉を通って行きます・・・
でも、だからったってそいつが
「うぎゃーっ!しびれるーっ!!」って感動なわけじゃない。
これが紅茶だったら「うぎゃーっ!しびれるーっ!!」って感動や、
不味さのあまりにテーブルひっくり返したくなるくらいの経験は
ザラにあるのに珈琲となるとぜんぜん。
どっちかってーと「珈琲だもの。どうでもいいやっ」てやつ。
どうも珈琲って味に対しての感受性が低いようです。
よーするに「珈琲を語るのは苦手」ってのが一番的確な表現。

外出してよそ様をお尋ねすると珈琲を出される事が多々あります。
紙コップに入ったインスタントの時もあれば、
「ウチの珈琲は美味しいんですよ」的な
凝ったカップに入ったモノを出される時もある。
好きかどうかは別にして、味の差ってのは判るので
美味しいものはそれなりにお褒めしたりすると、これまたご満悦で説明をして下さったりする。
でも、ちすにとっては「どうでもいい味」のレベルが上下しているだけなので
ご説明下さっても全然ありがたくないんですね。
ただ、困っちゃうのはこういうご説明をして下さる方というのは、
どうも珈琲に興味が無いと言う事を「知らない」と勘違いされている方が多いことです。
「この珈琲はおいしいんですよ」
とかおっしゃって、まるでご自分が珈琲の使徒かのように懸命に
伝道しようと新たな一杯の珈琲を用意してして下さったりするんですが、
「好き嫌いでも味を知らないんでもなくってですね、
 珈琲は世の中に無くっても困らないって評価なんです」
って事は理解していただけない。
まぁ、昨今の世の中。
珈琲を別の何かに置き換えた善意の使徒ばかりが闊歩しているので
珍しい事でもないんですが・・・
「自分に美味しいモノだからと言って、他人の口をこじあけて食べ物を
 ねじ込むようなことは決してやっちゃあいけない」
こういうのって「悪気がないから」で許されるようなものじゃないと思うンですが、
世の中どうも「悪気のない阿呆は見逃さなくてはならない」とかって
決まり事があるようです。

本当に大切なものは他人になんて教えたくないものです。
ましてや他人の口にねじ込むようなことができるわけありません。
結局、そんな方がお勧め下さるものは「一杯の珈琲」の価値しかないようなもの。
「一杯の珈琲」を薦めるような輩には、「一杯の珈琲」程度の価値しかありません。

しっかりと包み込んで、命をかけて守ってゆきたいものは
自分で判断して自分で見つけるもの。
見つけたら胸に抱え込んで大切に育てましょう。
あなたにとって本当に一番大切なものが「一杯の珈琲」にならない為に。

[No.196]はい、シッポあげて 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/03/15(Thu)-20:03
Counterfeit

「絶対にあたる性格診断」というものがあるそうです。

以下の文章を、あなたがカウンセリングの結果として受け取った
性格評価だと思って読んでみて下さい。

  ・あなたは自分自身についてよく考える傾向があります。
  ・あなたは人と一緒にいるのが好きですが。
   よく知っている人といないと安心はできません。
  ・あなたは主体的に判断できると自信を持っているし、
   他人の意見は十分満足しない限り受け入れることはありません。
  ・あなたはふさぎ込むことがありますが、気分屋というほどではありません。
  ・あなたはときに慎重になることもありますが、普通は社交的なほうです。
  ・あなたはときどき物事に集中できないことがあります。
  ・あなたはちょっと性格的に弱いところがありますが、
   全体としてそれを埋め合わせることができます。
  ・あなたは変化を好んでおり、行動を規制されると不満を感じる方です。
  ・あなたはときに体の不調に悩むことがありますが、
   気が滅入って検査をしようと思うほどではありません。

箇条書きにしましたが、このうちいくつかを
「あなたは○○で××な面がありますね。そして△△で□な性格です」
って感じで言われたらどうでしょうか?。
こんな感じです。
 「あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っていますが、
  それにかかわらず自己を批判する傾向もあります。
  また、あなたは弱みを持っているときでも、
  普段は克服することができるヒトです。
  あなたには生かしきれていない才能をかなり持っています。
  基本的には規律正しく自制的ですが、
  内心では少々くよくよしたり不安になる傾向があります。
  そんなときには自分が正しい判断や正しい行動をしたのかどうか
  真剣な疑問を持つときがあります。
  あなたは変化や多様性を好み、
  制約や限界に直面したときには不満を抱きます。
  あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、
  十分な根拠もない他人の意見を聞き入れることはありません。
  あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのは賢明でないと知っています。
  あなたは外向的・社交的で愛想がよいほうですが、
  その一方で内向的で用心深く遠慮がちなところもあります。
  あなたの願望にはやや非現実的な傾向のあるものもあります。」

いったいこれは何かといいますと、日常良く見られる性格診断で、
共通的に使われる言い回しをまとめて列記したものです。
実際にこれは心理学の講義などに使われていて、内容の告知なしに
アンケートを行い、結果と称して上記の診断を全員に渡すと、
同じ文章にもかかわらず、約80%の人が「当たっている」と答えるんだそうです。
つまり、ヒトの判断などというものにはレシピがあると言う事です。
これは「バーナム効果」と呼ばれるもので古典的な心理学の手法なんですが、
古典的なものにもかかわらず今でも効果的ですのでいろんなところで
利用されています。
また、この効果をよりうまく利用するには次のような条件を追加します。
 ・被験者が分析が自分にだけに適合すると信じている。
 ・被験者が評価者の権威を信じている。
 ・分析が前向きな内容ばかりである。

さて、あなたが何か思い悩むことがあって、
お友達から紹介されたカウンセラーの診断をあおいだとします。
お友達からは事前にそのカウンセラーは非常に優秀であり、多くの効果的な
アドバイスをした権威であると聞かされています。
まず、カウンセラーは最初にあなたにこう言うでしょう。
「大丈夫、私に任せてください。必ずいい方向にむかいます」と・・・
そしてしばらく話した後に、前述のような診断をあなたに告げます。
あなたは「そうそう、言えている、そのとおり。やはりこのヒトは優秀だ」
などと思われるはずです。
そしてカウンセラーはその診断を下した材料として、
あなたにしかない特徴を理由としてあげるでしょう。
それは、血管の流れであったり、気脈であったり、特異な経験であったり、
とにかく、それはあなたが特有に持つもので他人とは違うものです。
そして、「あなたのここに問題があるんです」と・・・
この事であなたはカウンセラーの判断が自分のための特別な診断であり、
カウンセラーの示す指針は、自分の思い悩むことの解決のためには
唯一無比の方法であると思い込んでしまう事になるのです。
指針の小道具にはネズミ講でもツボでもナンタラ水でもいくらでもあります。

「バーナム効果」は発表されてから今年で50年になります。
それでもヒトは「バーナム効果」から逃れることが出来ていません。
それは、ヒトにはシッポがないので相手が本当の事を言っているのかウソを言っているのか、
好意的なのかそうではないのかを知るすべがないからです。。

「根本的にシッポの無いようなのを信じるのが間違いなの」
はい、判っちゃあいるんですけどね。

[No.193]天使のレンジ 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/02/27(Tue)-17:42
昨晩、美味しくホットウィスキーを作っていたら、
電子レンジが沈黙しました。
これが「チーン」の後の沈黙でしたら当たり前なんですが、
いきなり庫内灯が消え、ファンの音がしなくなった後に「チーン」と・・・
はい、ご臨終の鐘のように・・・
で、それっきりタイマーは表示すれど庫内は沈黙のまま。
こいつをオーブンに切り替えようがトースターに切り替えようが結果は同じ。

うーみゅ・・・齢十歳の骨董家電とはいえ、
ちょっとオーブンの調子は悪くなっていたけど、
充分に働いてくれていたのに・・・
なんせ要は食品を温めるのがお仕事の電子レンジですから。
電子戦隊マグネトロン<(って感じですよねあのオバケ真空管(笑))
が2450メガサイクル<(古いなぁ)
の高周波を庫内にぶちまけてくれればいいワケなんです。

あ、ふとサイクルで思ったのですが、
 ♪だぁーれの耳にも聴こえない3万サイクル音の笛ーっ♪
って「海底人8823」の主題歌。
あれ、3万サイクルって充分聴こえる上にめっちゃ不快音だと思うんですよね。
こんな笛鳴らされたひにゃあ、海底人が来る前に、
頭痛で敵はやられてしまうような気がする。

閑話休題
とにかく、高周波を出さずに無常にタイマーが回るだけと言う電子レンジは
ただの巨大なキッチンタイマーにしかすぎないワケであります。
住宅事情に余裕のある米国辺りでは、このように巨大なキッチンタイマーも
お遊びとして許されるかもしれませんが<(許されません)
いかんせん大和の国は狭いのです。
その上この狭い国の国民の体格はどんどん巨大化しています。
敗戦時の頃の平均と比べ、
現在の日本人の体格は15%近く大きくなっているそうです。
60余年で15%。これはすごい伸長率です。
このまま行くと、西暦2500年頃には日本人の平均身長は20mを越え、
体重は4tに達するものと・・・・

えっと、閑話休題。電子レンジ(笑)
液晶タイマーが表示されているのに、庫内灯もファンも回らない。
当然高周波も発射されていない<(ま、こいつは見えませんが(笑))
と、なりますと疑われるのは本体のヒューズが飛んだということです。
ちなみに、シロウトによる電子レンジのヒューズ交換は、
非常に危険と言うことでメーカーはご法度としています。
なぜなら電子レンジの内部には高圧の電荷をもつテスラコイル・・・
じゃなかった変圧トランスが入っているからで、
こいつに下手に触れますと文字通りはじき飛ばされます。
しかしここでひるんでいてはお酒にありつけないっ!!

ちすは家族の為に<(家族ーっ?)
危険な電子レンジの開腹手術をするべく、決死の覚悟をちすオクに告げ、
ゴム手袋とドライバーを持ち出しました。
するとなんと、ちすオクは玄関ポーチに新聞紙を敷き、
寒空の下、電子レンジともどもちすを追い出してしまったのです<(鬼っ!)
やむを得ず、ちすは孤独な戦いを始める事にしました。
寝室の窓に手をかけて
不思議そうにのぞいているニャンコだけをギャラリーに・・・

電子レンジ。
十年の年月を連日休む事無く酷使されたその筐体は、
まだ、表面部分だけはなんとか体裁をつくろってはいましたが、
裏側は埃と油にまみれ、
あたかも「ニッポンのお父さん」のようなくたびれた様相を漂わせていました。
「うーみゅ・・・苦労しているなぁ」
感慨の中、裏ブタをひらくと隅々にぎっしりと積もった埃・・・
きっとちすを開腹してもこんなんだろうなぁ・・・と二度涙(笑)

さてさて、お目当てのヒューズは悪の権化高圧変電トランスの端っこに、
盲腸虫垂のようにはりついていました。
ま、実際のところ、家電のヒューズなんてものはヒトで言うところの
盲腸のようなものです<(違うと思うぞ)
トランスから引っぺがした125V13Aのヒューズ管・・・あれ?切れてない。

ここで、オペは急展開の様相となりました。
疾患の原因と、もくされた患部に病巣がみられない。
通常の生体オペですと、ここはいちど閉じて、
もう一度検査と言う事になるのでしょうが事は急を要しています。
寒風の下作業を続ける術者の身体はホットウィスキーを求めているのです。
「うーみゅ、ヒューズで無いとすると・・・」
ちすの目はトランスの後ろに隠れているブラックボックス。
電子戦隊マグネトロンに注がれました。
トランスの金属部分に触れないように注意しながら「南無八幡大菩薩」
 <(どういう掛け声だ)
とトランスを引っぺがすと、マグネトロンにつながる3つのリード線、
赤ネトロン、青ネトロン、黄ネトロンの姿が・・・
「ををっ!なんということだ!!」
無残な結末でした。トランス側にあった黄ネトロンの接合部が
真っ白に腐食してしまっているではありませんか。
そして、その腐食はどうも本部マグネトロンの方まで浸食しているようでした。
「うーみゅ・・・」
神の指を持つといわれる術者でも<(誰が神の指じゃーっ!)
これはどうにもできない状態でした。

ため息とともに裏ブタを閉じ、
家電復活の魔法の呪文といわれている「ドテっ腹に蹴りっ!」を食らわしても、
もはや天使となってしまった電子レンジは還ってきませんでした。
ひたいに貼られた墓標代わりの「東京都粗大ゴミ引き取り券200円也」も哀しく。
静かに眠りにつく電子レンジ。<(ひたいはどこなんだ?)
早朝から「わーい新しいレンジだぁ」と家電店の折り込みチラシを物色する
ちすオクの姿が物悲しいちすでした。

[No.192]遠い記憶 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/02/22(Thu)-21:24
二十余年前、
リュックとカメラバックさげて降り立った初秋のデュッセルドルフの空港は
期待に胸をふくらませる若きちすを・・・
・・・なーんていけばカッコイイんですが、
現実はアラスカのトランジッドの時に食べたテンプラうどんが目一杯お腹にもたれ、
その上に「胸焼けに効く」とかって機内でくれたヴンターベルグなる
強烈な薬用酒の呑みすぎで目一杯悪酔い(笑)
あげくに当時最新鋭とは言えせまっ苦しいトライスターの機内に20時間も
閉じこめられた果てのちすはどちらかと言うと「死体が腹腐らせた」ような状態でした。

さて、トンでもない欧州の冬をなんとか冬眠して過ごし(笑)
春の日差しが差してきたころ、キールに観光に行ったちすはいきなり声をかけられたのです。

「ユンカー!」
振り返ると粋ないでたちの御老人がちすに声をかけてきました。
独逸ってーのは欧州、いや世界一の個人主義の国ですので、
異邦人に声をかけるなんて事はめったに考えられません。
思わず「なんじゃ?このじいさん??」と身構えたちすでした。
そんなちすの気持ちを知ってか知らずか御老人は
「チナ?」「ふぇ??」「チナー?」
 <(あぁ、中国系かと聞いてるのネ・・・)
「ニヒット ヤーパン!」
なんて応えちゃったのが間違いの元(笑)
機関銃のように投げ掛けられる独語に「ヴァルテッ!!」と泣きついて、
なんとか独語がてんで判らない事を理解していただき、お互いに独語と英語のチャンポンで
なんとか意志の疎通を交わすことに成功しました。
ちなみにこの御老人、怪しい方ではなくどうもこの方も観光に来られた悠々自適なお方のようでした。
まぁ、もちろん会話っていっても
「サイトシン?」
 (「観光客か」)
「ニヒト アルバイテ アイムホリデー」
 (「いや、仕事来てる。今日は休みだ」)
とかって、言葉ごちゃまぜデタラメ片言単語って感じだったのですが
なんとなく通じちゃうんのが面白くって半日近くこの御老人と
Uボートを眺めながら過ごすことになったのでした。

帰りの列車の時間が近づき、ちすは御老人に別れを告げたとき・・・
「じいさん、今日はありがとう。帰るわ」
「そうか、帰るか。いい仕事をしろ」
「ありがとう。もぅこの町には来ないと思うけど、じいさんも元気で」
と、握手をかわしました。
すると
「ユンカー!」
握手を交わしながらじいさんは、
異邦の民に判るように、ゆっくりと、
彼が知ってる部分は英語も添えてちすに別れの言葉を告げてくれました。
「ユンカー ヴェルゲッゼン ニヒットー・・・ユア カントリー・・・」

「ワカモノ ケッシテ ワスレルナ キミノクニハ ドイツトオナジク
 セカイガ ヒツヨウトシテイルクニデ アルコトヲ
 ソシテ ウタガッテハ ナラナイコトガ タイセツダ」
頭の中で直訳した言葉をグルグルとまわしているうちに
じいさんの言葉が流れ込んできました。

「いいか若いの。絶対に忘れんじゃねぇぞ、
 お前さんの祖国はな、この独逸と同じように世界にとって必要な国だ。
 そいつを信じてさえいりゃぁ大丈夫だ」って・・

そのときなんと応えたかってのは全然覚えていません。
覚えているのはただじいさんの手をにぎって
「ダンケ トゥミィアベステ」・・「有り難う。精一杯やるから」と繰り返していた事だけ。
旅立つ若者に対してのはなむけの言葉として、それはただの
常套句であり、深い意味を持つものではなかったのかもしれません。
感涙にむせぶ東洋人を相手にじいさんにしたら
「どぅした、おいっ??」って思っていたのかもしれません。
でもその言葉はちすの心に深く突き刺さりました。

愛国心がどうのこうのって取りざたされます。
大切なヒトを守るため。美しい風景を守るため。
そんな難しい事考えたところで答えなんか見つかりゃあしない。
ヒトだって国だってよーするに
「必要か必要じゃないか」って事を考えりゃいいんだと思うんです。
アナタは居なくっちゃならない。
アナタが必要だ。
そんなアナタ方が居る社会は、町は村は、そして国は。

「そんな事さえ信じられないようなら居なくったっていいんだよ」

[No.191]究極の奉仕 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/02/14(Wed)-22:44
西行忌です。

西行忌にちなみ能楽の「西行桜」などを見ながら。
ふと奉仕ということに思いを馳せておりました。

奉仕・・・「利害を捨てて尽くすこと」
かつて、「究極の奉仕」とは何かについて考えたことがありました。

たどりついた結論は、
「究極の奉仕とは、自分を一番憎んでいるヒトの前で、
 もがき苦しんで死ぬのを見せる事」
でした。
「死んで欲しいくらい憎い相手が目の前で苦しんで果てる」
これは見ている側にしたら素晴らしい光景でしょう。
それをこちらから見せてさし上げる。
これは、人生一度しかできない究極のご奉仕です。
自分を憎んでいるヒトの為に命を捧げる。
これこそ「利害を捨てて尽くすこと」です。
もちろん、ただくたばっちゃあいけません。
奉仕と言う限りは、見とどけて下さるお客様が満足されるように
派手に死ななくてはなりません。

と、言う事で。
「頚動脈かっサバいて鮮血まき散らかしてひとおもいに」なんてのは絶対にダメです。
ハデですが数分でこと切れてしまいます。まして「気を失って絶命」
なんてのは全然満足いただけません。
満足どころか反感を受けてしまいます。
なんといってもお客様は「アナタの事を憎んで」おられるんですから。

次は「毒物」
これは見てくれはいいです。
モノによっては皮膚糜爛性のような派手ものもあります。
あ、即効性のものや昏睡系のものはお避け下さいネ。
そんなものを見ても満足いただけるワケがありません。
顔色青ざめ、目は血走り、苦しみにのたうち回りながら最期を迎える。
命が尽きる苦しさに胸をかきむしり、皮膚が破れて血がしたたる
このような演出が加わりましたらもっと好評でしょう。
注意として、青酸化合物を使われる場合には、
青酸ガスが一気に発生しないように
制酸剤と一緒に服用されることをお勧めいたします。

つづいて「窒息」
これも見どころのあるイベントです。
透明な樹脂かガラスで棺桶状のモノを作製し中に入り、お客様に密閉していただく。
素直に入っては気がそがれるかもしれませんので
黒服のエキストラを用意して、
暴れるアナタを強引に棺桶に押し込むなどという演出がありましたら
もっとご満足いただけるでしょう。
せまい空間で、次第に無くなってゆく酸素を求め、
顔は黒ずみ、舌を出し、決して開くことの無い棺桶のフタを
かきむしりながら死に逝かれる姿にはきっとご満悦をいただける事と思います。

「流血系」がお好きなお客様にはなんといっても切腹です。
もちろん介錯無し。頚動脈切りも無しです。
なんでしたら刀も切れない竹光をご用意下さい。
切れない刀で腹をえぐり、小腸をブチまけながら
這いずり回る姿に、お客様は大喜びです。
苦しい息の下から「こ、殺して下さい!」などと懇願するのも一興ですネ。

さてさて、最期に究極の奉仕ショーといいましたら
なんといっても「十字架」でございますーっ。
両手のひらと踵をクギで打ち抜かれて吊るされる・・・
その苦痛は筆舌に尽くせません。特に体重のかかる手のひらの部分は、
その重みでどんどんと裂けて鮮血がしたたりゆくものと思われます。
お客様としては興奮の絶頂でしょう。
でも、下手に騒いではいけません。
まずじっと耐えるようなそぶりを見せ、お客様に対して意表をつく
これもご奉仕には必要な演出です。
そして、お客様の我慢の限界が近づき、「こいつ、実は平気なのか?」
などという疑問が湧いてきた頃を見計らって絶叫します。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ!!」
もぅ、お客様はお祭り騒ぎです。
これぞ奉仕の極みというやつです。

じぶんを憎んでいる方に尽くす。それも命を捧げる究極の奉仕。

あ、もちろんこの奉仕を受けられた方は、次の方に対して
もっと派手な演出でご奉仕なさる義務がございます。

究極の奉仕を皆様1人1人が実践なさることで世界の平和がおとづれます。
なんたって、ヒトに憎まれる方が派手に死なれ、それを見とどける方も、
同じようにそのヒトを憎まれている方の前で死んで逝かれるのですから。
そして、最期に残った方々は誰も憎む事のない、
そして誰にも憎まれていないヒトだけなんですから。
・・・え?ヒトが誰も居なくなったって・・
それは当然でしょう。

[No.190]ウィスキーのポケット瓶 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/02/10(Sat)-22:21
年間10回上洛をします。

いや、それ以外にもお仕事や実家の要とかってやつで
上方に行くことはありますがそれは大阪や神戸であって、
純然と「上洛」しているのは音楽の為です。
「我が国において、フォークソングが似合うのは京の都以外に無い」
って確固たる執念(笑)のもと、JRに貢いでいるわけですにゃ(笑)
で、
おのずと東海道をひた走る夜行寝台のお世話になるわけで、
車窓に映る風景を肴にかたむけるウィスキーのポケット瓶が
旅の朋となります。

初めてこのウィスキーのポケット瓶を手にしたのは
中学2年生の時でした<(時効(笑))
夏休みに仲間達とサイクリングで神戸から淡路島に行ってキャンプするという
目一杯冒険モードの計画に花を添えるべく
ちすが持参したのが「ブラックニッカウヰスキー・ポケット」でした。
キャンプの準備をしながらちす父に「酒くれー!」
っておねだりをしたちすに、竹鶴政孝翁のウンチクかましながら
手渡してくれたのがこのポケット瓶でした。
ただし、中学生にウィスキーの味など判るはずもなく、
大人の真似をしたがる年頃のなせる技だったのですが、
仲間達に「さすがお前の親父さんやなぁ」とかって言われながら
重たい帆布製の三角形テントの中で回し呑みしたウィスキーは
とても辛くて、とても苦くて、決して美味しいなんてものでは
ありませんでしたけどネ。

揺れる車窓の出っ張りにポケット瓶、
その横には小さなプラスチック製のショットグラス。
こんな風景は夜汽車の衰退とともにどんどん消えてゆこうとしています。
たとえ、まわりにヒトがいようとも、
車窓の風景を肴にウィスキーの満たされたグラスを口にする時、
それは「個人の至福」の時間であったに違いありません。

現在のように「与えられる個人」ではなく「求める個人」
集団の中に個人が与えられる事を求めるのではなく、
確固とした個人が集まっているだけで出来上がった集団。
そんな塊でなく狠である集団も、
夜汽車の汽笛の向こうに消えていこうとしているように思います。

「個」の利己主義は、「命」の進化の唯一の事由。
いったい誰が「この国では個人主義を悪」と定めたのでしょうか。

[No.189]立春の卵の2 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/02/04(Sun)-16:37
立春です。
卵が立ちました・・・
画面でお見せ出来ないのが残念です。

「可能性が皆無でない限り、それはできると言う事」 from 寺田寅彦博士
困難と不可能は違います。卵は立ちます。

もちろん、昨年「[No.144]立春の卵」に書きましたように、
立春だから立つって事ではなく、
卵ってのは基本的には立ちます。
ただ、こいつを立春に立ててみようとする。これが意味ある事のように思って
毎年挑戦しているちすです。
今回は所要時間五分でした。
たった五分の集中がとてつもなく長くも感じます。
そして、いつものように「こりゃ無理かなぁ」とか「卵をかえようかなぁ」
などという事がアタマに浮かんできます。
もしかしたら卵をとりかえたら簡単に立つかも知れません。
全ての生物が均一でないように
立ちやすい卵と立ちにくい卵はあるでしょう。
でも、「立つ可能性のない」卵は皆無です。
どんな卵も立つ可能性はあります。
個々の違いはその可能性を見つけるのまでの時間の違いです。

そして、もっと大切な事は「選んだ卵を立てよう」という意志。
1個の卵とほんの数分。
立った卵はこれがこんなに立てるのに大変だったのかと思えるくらい
しっかりと立ち上がっています。
そうして、あなたが立てることのできた卵。
きっと倒したくないと思われるはずです。

卵を立てようとするヒトを笑う者には
決して卵は立てられません。
卵が立つことを信じられないヒトの意志は
独りで立つことはできないでしょう。
他人の力を借りて立てた卵はあなたの卵ではない。
「みんなの卵」はいつしか実は誰かの卵になっています。

とりあえずまずは、「あなただけの」卵を立ててみませんか。

[No.188]地球温暖化の2 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/01/23(Tue)-21:38
[No.97]で地球温暖化をネタにして、
「地球温暖化はデブがクーラーをかけまくるせいだぁ」
と騒いだちすですが、
最近、発電による炭酸ガス排出量は減ってきているそうです。
ま、代わりに放射能がたくさん排出されていますが(笑)
最低限、放射能では地球は温暖化しません。
え?「生き物には有害だろうが」って・・・?
あぁた、地球温暖化を語るときのお題目は
「地球にやさしい」ですよっ!!生き物になんてかまっていられません。
「地球にやさしければ、他はどう犠牲になってもいい」
気ぃ入れてプロ市民をかますにゃこれぐらいの根性が必要です(爆)

さて、電力を核でなんとか作って炭酸ガス排出量を減らすとして、
次に炭酸ガスを出すもの。
そりゃなんたって「燃焼」です。
燃焼の最たるものはもちろんロケット。
最近の液体酸素・液体水素系のロケットは燃焼しても水蒸気しか
排出しませんが、以前の液体酸素・ケロシン系のロケットは
すさまじい量の炭酸ガスと熱を排出しておりました。
アポロ計画に使われたサターンブースターは1回の射出で
キャデラック七万台が1日空ぶかしする量の炭酸ガスと熱を排出するそうです。
 <(だれが計算したんだ(笑))
で、そういうことは・・・
はい、クーラーの次になんとかすべきは「暖房」ですね。
寒冷地で薪ストーブなんてもっての他。炭酸ガスまき散らして
いるようなものです。

ここでデブの皆様に朗報です。
地球温暖化の根源のようにちすがこき下ろした「ぶっとい方々」
そうですっ!、デブは寒さに強いっ!
ガリが骨身に染みるような寒風の中でも暖房無しに平然としておられます。
夏はそばに存在しているだけでもうざったい身体からの排出熱も
寒風の中ではついついおそばに近づきたい。
「冬の温暖化対策」は「寄らばデブ」!!
お家でもぶっとい方がおられましたら暖房の温度を下げ、
その方に布団をかぶせてみんなで足を突っ込みましょう。
心地よい人肌は低温ヤケドにもなりませんので
お年寄りにも安心です。
え?
「だったらネコの方が体温高いだろ」って・・・
そっか、その手があったかぁ。
やはりネコにゃ勝てないか・・・・(爆)