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[No.187]昼のいこい 投稿者:ちすもん 投稿日:2007/01/23(Tue)-21:36
NHKラジオの「昼のいこい」がFMでも放送するようになって、
お昼休みにあのしらじらしい放送を楽しんでいます。
(ちなみに、今年の8月15日の放送はFMのみってめっちゃレアものでした)
もう、50年以上もやってるんだそうですネ
あの番組の何がすごいって選曲ですね。
昭和歌謡とジャズとフォークダンスを平気で同居させるんだもんなぁ(笑)

ところで、ちすは子供の頃からあれの話題を提供されている
「農林水産通信員」ってのがすごく気になってるのです。
(あ、今年の秋から「ふるさと通信員」になりましたネ)
あれって、なんか免許状とかバッジとかもらえるのでしょうか?
あと、どんなヒトがなれるのかなー。試験があるのかしら。
大学の友人が農業改良普及員をやっていて、頼まれたことがあるって
言っていたけど、それも人づてだったそうです。
確かに「農林水産通信員(ふるさと通信員)の募集」
なんてポスターは見たことないしなぁ・・・
やっぱ受信料払っていないと応募できないとか・・
でも、ラジオは受信料聴取しないぞ(笑)

もしかしたら、表向きは「農林水産通信員」。
実は闇の使命を帯びた
重宝部員「宇宙刑事・銀シャリ弁」とか(笑)
謎が謎呼ぶ「農林水産通信員(ふるさと通信員)」・・・うーみゅ。

ところで「ふるさと」って事は都市部の担当って居ないのでしょうか?
都市は切り捨てかぁっ!!

うーみゅ、さすがは方相教会<(ハデに誤植したな(笑))

[No.186]ビーグル号に花束を1 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/11/24(Fri)-20:24
本日は「種の起源」の出版記念日

と、言うことで「種の起源」の作者
チャールズ・ロバート・ダーウィンさん。チャーリー君のお話です。

1809年
大地主にして代々医師の家に生まれたチャーリー君ですが、
ちょっとオツムか逝っちゃったお子様でした。簡単にいいますとアホ(笑)
爺ちゃんのエラズマス先生のコネでなんとかエジンバラ大学の医学部に
入れてもらったのはいいんだけど全然ついていけない始末。
そもそもが血を見たらひっくり返っちゃうってんだから話にもなりません(笑)
仕方なく父ちゃん、このろくでなしのクソ息子を母校である
ケンブリッジ大学の神学部に入れて牧師の資格を取らす事にします。
当時は産業革命花盛り。教会の人気はガタガタで、
家業が教会でもなきゃあ神学部なんて入るヤツは居ません。
おかげさまで牧師になるのに信仰心なども関係ありませんので、
適当に資格を取らせたら、条件のいい空き教区見つけて金で手に入れ、
あてがっちゃえばいいって魂胆でした。

ちなみに、チャーリー君の母方の爺ちゃんってのは
ジョサイア・ウェッジウッドさんっていいまして、
ウェッジウッドカンパニーの創立者です。
アホですが幸せな事に金とコネはばっちりの恵まれた環境にありました。

さてさてケンブリッジ大学に入学したチャーリー君ですが、
学業なんてほったらかして
日がなやることといえば「昆虫採集」
あげくに、
「1人でやってると手が足らないから手伝いの召使を雇ってくれ(笑)」と
それをまた雇ってやるんだから親も大馬鹿野郎(爆)

22歳でやっとこ大学を卒業したチャーリー君。
まぁ、卒業したっていっても就職するワケでもなし、
家でゴロゴロしているのもヒマだったと見えて、
「父ちゃん、オレ、アフリカ探検したいねん」
・・・まったく金銭感覚のないアホほどつぶしの効かないのはいませんね。
そんなことやって何になるってワケでもないし、
経費だってむちゃくちゃかかる。
そもそもが、探検に行くったって1人で行けるわけでもない。
ところが「アホの強運恐るべし」ってやつで、
ここに「ビーグル号計画」なんて話が舞い込んできます。

えー、ご存知の通りスエズ運河が出来るまで、
欧州と亜細亜を結ぶルートは
アフリカ大陸を大陸沿いに回りこんでの遠路はるばるの航海でした。
とくに喜望峰あたりは航海の難所で、座礁する船も多かったんですネ。
で、必要だったのが水深測量。
このために測量船を送ろうってのが「ビーグル号計画」でした。

と、なんとかアフリカ探検のツテを見つけたチャーリー君。
とはいってもビーグル号で何かお仕事するってワケじゃあありません。
経費自前の「お客様」ってやつですにゃ。
もちろんここでもお爺様のウェッジウッドカンパニーの後ろ盾がございました
いやいや、持つべきものは孫に甘い資産家の爺ちゃんってやつです(笑)
ともあれ1832年2月。ビーグル号は測量の航海に旅立ちます。

ビーグル号が測量をするあいだ、内陸に入って調査を始めたチャーリー君
ま、「調査」って言ったところでなにも本人みずから密林を分け入って
なーんて事はありません。
そもそもがこの「おぼっちゃま」
船酔いでボロボロになっていたんですから(笑)
召使達が密林を分け入り、危険なものは取り除き、面白そうなものを
取り揃えたところで「ぼっちゃま、調査の準備ができましてございます」
ってまぁ、「川口浩探検隊」のような調査です(爆)
チャーリー君の日記によればこの「探検」
お茶の時間がしっかりと確保されていたそうです(笑)
南米・ガラパゴス・タヒチ・オーストラリア・南アフリカとまわった
ビーグル号は1836年10月無事に帰ってきます。

いゃあ驚いたのは親戚一同。
そりゃ「もちろん死ぬと思っていた」ワケですからね(爆)
せったく大金はたいて一族から追い出したってーのに
帰って来られちゃ困る。
お家は長男が継いでいるし、
ウェッジウッドカンパニーも叔父さんが牛耳っているってのに・・・
とはいってもほっておくワケにゃいきません。
「探検してきた」って限りは何らかの報告は必要なワケです。
それもダーウィン家の名に恥じない、学会に発表できる形で
・・・そりゃおぼっちゃまには無理な相談です(笑)
なんせ採集してきた標本も船倉に詰め込まれたまま、
整理もなんにも出来ていないんですから。
まぁ、しかし、そこは「金とコネ」のおぼっちゃま。
周囲で「金はないけど学はある」って協力者を雇っちゃいます。
まったく、いつの世もこんなものです。はい。

1837年1月。地質学会にデビューしたチャーリー君は注目の的。
そりゃそうでしょ、彼に取り入っていれば絶対に金になるんですから(笑)
いたるところで講演会と宴会の日々。
とうとうチャーリー君。少々体調を悪くしちったようです。
ま、自業自得ってやつでしょう。

さてさて、ヒトのウワサも49日<(ちょっと違うぞ)
いつまでも南方探検の話にヒトが群がるものでもありません。
それとチャーリー君もそろそろ30歳。
アホはアホなりに色気もありますので
お嫁さんをあてがってあげなくっちゃなりません。
そこで父ちゃんが目をつけたのがジョサイア・ウェッジウッド爺ちゃんが
かわいがっていた、行かず後家の孫娘エマちゃん。
チャーリー君にとってはイトコにあたります。
血縁だからってそんなこたぁ知ったこっちゃあありません。
目的はウェッジウッド家と親密関係を築こうってんですから(笑)。
このときチャーリー君29歳。で、エマ・ウエッジウッドちゃん30歳。
ウェッジウッド家のほうでも年増のエマちゃんを引き取ってくれるなら
アホのチャーリー君でもいいとしたのでしょう。
「腐った林檎はひとつのカゴに」ってやつです。
体調不良だったはずのチャーリー君。
お嫁さんをもらって舞い上がったのか「ビーグル号航海記」
なんて本まで出版しちゃいます。

[No.185]ビーグル号に花束を2 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/11/24(Fri)-20:23
ところが世の中どう転がるかわからないもので。
この年上女房のエマちゃん。いい奥さんだったんですね。
年は食ってるし美人でもないもんだから
「所詮アタシこんなんですから」って感じで不満を言わない。
大体が見てくれの悪い女性ってのはこっちに転がるか
逆に「ふんっ!どうアタシなんかっ!!」って
不満の塊の肉ダルマに転がるかの両極端です。
もちろん大半の場合、後者です(笑)
ま、と言うことでエマちゃん。
ろくでなしのチャーリー君には出来すぎた奥さんでした。
ところで
この頃のチャーリー君。
元来ちょっと逝っちゃった系のオツムがいよいよ逝っちゃってまして、
突然不安にかられて震えだしたり、落ち込んで深海落ち込んじゃったり
とかって、いわゆるパニック障害を発症していました。
ま、この傾向。若い頃からあったようで、
いやいや、医者になってくれなくって良かったものです(笑)

さて、ここでチャーリー家の家計について考えて見ましょう。
前述のようにチャーリー君は基本的にはアホですので、
なんの肩書きもありません。
大学教授でもないのに研究に没頭するチャーリー君に公的援助などと
いうものはないワケです。
その上、チャーリー家は子沢山。
1851年の段階で、チャーリー家には子供が9人も居ました。
そしてお屋敷には、10人以上の使用人。いったいこれだけの家計を
どのようにして支えていたかといいますと、もちろん遺産です(笑)

1855年の国税資料によりますと、
ダーウィン夫婦。二人合わせた年収は約3000ポンド。
これは全英の不労働所得生活者番付の上位数パーセントに入る収入です。
この辺りの運用には腕のいい会計士が代々仕えていました。
それとは別に14000ポンドの資産価値のある農場。
チャーリー君が父親から相続した病院の遺産が40000ポンド
エマちゃんが父親からもらった持参金が25000ポンド
総計80000ポンド以上の資産をこのご夫婦はお持ちでした。
乱暴な計算をして、日本円で2000億円強・・・
はいはい、好きに研究でも子作りでもやっていて下さいって気分です。

「金の心配をしなくっていい研究」
これはもぅ研究者にとっては夢のような環境です。
おいおいチャーリー君の周りには若い研究者がどんどんと集まり、
一種の親衛隊のような状況となってきました。
「人・物・金」と揃うと、次にヒトが求めるものは名声です。
親衛隊としてはここいらでドーンと学会が大騒ぎするような
研究発表をチャーリー君に望むワケです。
と言うことで、1856年5月。チャーリー君は進化論の執筆をスタートしました。
 <(いやいや、やっとここまで来た(笑))

「進化論」
そもそもこれはチャーリー君のオリジナルな学説なんかじゃありません。
もともとは爺ちゃんのエラズマス・ダーウィン先生が唱えた学説です。
ただ、宗教的に問題があるって事でお蔵入りになっていただけなんですが、
チャーリー君はオツムも薄いが宗教心も薄いので気にしない(笑)
よくもまぁ神学部になんていたもんです。
かくして1859年の11月24日。「種の起源」の初版が発刊されました。

発表された「進化論」
この論争については書き連ねなくても皆様ご存知のことだと思います。
論争はチャーリー君をほったらかしにしてどんどんと激化していきました。
「進化論論争」ですが、親衛隊のもくろみは論争の激化にあったようです。
かれらは「進化論」を擁護することではなく、教会から「科学」を切り離すための
旗印として「進化論」を利用したワケです。
ほどなく親衛隊たちは英国学術協会を内部から操作し、
会員の選出方法を変えて仲間の会員を増やし、
自然神学派を追い出し教会の干渉が及ばないようにし、
国家からの支援を約束させることで、科学を貴族の遊びから解放しました。
そして皮肉な事に
「ロイヤルソサエティの由緒あるオリーブの葉の冠」であるコープリー賞は
その、貴族系科学者であったチャーリー君に与えられたのです。
まあ、このあたりがチャーリー君の科学人生の頂点だったのかもしれません。

その後のチャーリー君は「進化論」を追従する論文を何本か書きましたが
「進化論」程には話題にもならず、
晩年は自分の取り巻きたちが英国学術協会を舞台に繰り広げる
おぞましい権力争いを見ながら、
独自の自然観察の世界に逃げ込んでゆきます。
そして、科学者のものとなった科学は、
「金の心配をしなくてはならない学問」となり、
金になる研究重視にどんどんと流れてゆきます。

チャーリー君の最後の論文は、
1881年に発表されたミミズの知性を試す実験についてのものでした。
単なる観察馬鹿のおぼっちゃまは1882年4月19日に永眠。享年73歳。
遺体は英国学術協会の権威を公に示すために、華麗な儀式のもと、
ウェストミンスター大聖堂へ埋葬されました。

虫が好きで、動物が好きで、自然が好きだっただけなのにね。
神様もなにもよくわからないから、
感じたままに自然選択を語っただけだったんだけどね。

 「どうかどうか、ついでがあったら
  アルジャーノンのお墓に花束をそなえてやって下さい」
・・・チャーリー

[No.184]花占い 投稿者:Refrain 投稿日:2006/10/27(Fri)-18:45
すき きらい すき きらい ・ ・ ・

何回やっても同じ結果

by コスモス


<私的想像ガイドライン>
意中の人がいるのでもなくクラスメイトやアイドル達を相手に、お花畑を見つけると花を摘んでは花びらをめくり何度も何度も繰り返していた。そうここはコスモス畑。
一度泣いたらなかなか止まらないそれでいてとても笑い上戸のどちらかと言うと色白で背は低めの少女は、花びらの数で占いも何もないと言うことも考えずただの偶然にであった時の喜びの為に花びらをめくっていた。
その少女も33歳になり(想定上)当たりとハズレがあるのならばどちらかというと当たりの方が好ましいと考えていた。偶数の花びらでは当たりの確率は低いと分かっていてもコスモス畑をみるとつい花を摘んでしまう。
そして「当たり」から始めてしまうのであった。

[No.183]フランクリン卿 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/10/25(Wed)-22:09
以前ネタにした
「LORD FRANKLIN」の日本語歌詞を作ってみました。
もちろん英文を直訳したところで意味はありませんので、
その悲劇をなんとかバラッドにできたらいいなって思いました。
どっすフェスででも機会があれば唄おうかなって思うところです。
繰り返し部分の元ネタは「The fate of Franklin no tongue can tell」です(笑)

******************
  フランクリン卿

 極地をめざし 凍てつく海に
 哀れ フランクリンの探検隊
 誇り高き 百余の男

 氷に閉ざされ 望みも尽きて
 哀れ フランクリンの探検隊
 二年の月日の その果てに

 選びし道は 滅びの歴程
 哀れ フランクリンの探検隊
 船を捨て去り 氷の原を

 目指すはけぶる 遠き島影
 哀れ フランクリンの探検隊
 同胞(とも)は次第に 道に斃れ

 たどり着きたる 望みの島は
 哀れ フランクリンの探検隊
 鳥も通わぬ 岩礁窟

 残るは僅か 四十と余名
 哀れ フランクリンの探検隊
 餓えと病に 震える指で

 誰が指したか 食せる糧は
 哀れ フランクリンの探検隊
 旅に斃れし 朋(とも)のむくろ

 救いの船が 辿りし時には
 哀れ フランクリンの探検隊
 迎える者の 影は見えず

 夕餉の跡は おぞまし景色
 哀れ フランクリンの探検隊
 末期の糧に 朋の肉とは

 空は語らず 海は語らず
 哀れ フランクリンの探検隊
 その名そしるは 誰もあらじ

[No.182]猫の手も借りたくない その1 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/10/06(Fri)-23:39
「猫手組。お前達を呼んだのは他でもない」
「なんだ用がないなら帰るぜ」
「用がないとは言っておらん、他でもないと言っておる」
「他でないならここである、唐来傘ならアイデアル」
「えぇい、古いボケをかますでないまったく。
 だからお前達を呼ぶのは嫌だったのじゃ」
「嫌だって言ったってお呼びつけになったのはお頭様でしょうが、
 まったくわたくし達だって忙しいのですからね。つまらない御用でしたら
 むやみにお呼びつけにならないで欲しいものですわ」
「忙しいって・・おぬしらに何か請け負いでもあったというのか」
「失礼な、六角衆猫手組、諸侯の皆様に引く手あまたですわ」
「それは知らなんだ。いったいどのようなお役目じゃ」
「えっとぉ、先日は賀茂のお社で月琴万歳をしたでしょ。
 昨日は川端の施療院で催馬楽のお調子
 今夜なんて西園寺様のところで琵琶の囃し方を賜ったのですわよ」
「たわけーっ!!かりにもお前達は公に頼めぬ仕事を請け負う
 六角衆の組者の端くれだぞ、まったく表仕事だけにほうけおってからに。
 そんな事だからネズミも取れぬ猫手組などと言われるのじゃ」
「そいつぁ言ってくれるよなぁ。俺達だってやるときゃやるぜ」
「そうそう、先月だって寺町の大掃除の手伝いを請け負って
 ネズミを25匹もつかまえたんですから」
「ばか者っ!!だれがネズミ取りをやれと言った。もうよい、
 今宵お前達をよんだのは新たな請け負いの話じゃ。これを見よ」
「わ、きったねぇ爪。お頭ぁ爪ぐらい切れよ」
「ほんと、それもまっ黄色。煙草の喫みすぎですわ」
「だれが指先を見ろといった。わしが指差しておるものを見ろというのじゃ」
「見ろって・・ををっこれは」
「驚いたか」
「うす汚ねぇ竹筒だなぁ。火吹きに使うにゃ短けぇし」
「この阿呆がよく見ろ、これは龍笛じゃ。それも並の笛ではない。
 名前ぐらいは聞いたことがあろう、「小枝」(さえだ)じゃ」
「さえだ・・ってあの六条院様お預かりの銘笛」
「左様」
「で、なんでそんなもんがここにあるんだ。あー、実は
 「さえだ」じゃなくって「こえだ」でした。なーんてオチじゃねぇだろうな」
「だれが左様な茶楽くような事をするか、正真正銘本物の小枝じゃ」
「・・・で、こいつをどうしろってんだい」
「うむ実はな、これは三条様が持ってこられたものじゃ。なんでも一昨晩、
 宮中で楽の合わせがあったそうじゃ、
 そのときに三条様は銘笛と名高い万天楽を持参された。
 そして、六条院様は小枝を・・・
 奏が無事に終わったとき、どういう話でそうなったのかは
 知らぬが六条院様が万楽天を奏してみたいので貸していただきたい
 と申し出られたそうじゃ。
 三条様は最初は渋ってられたが、代わりに小枝を貸すといわれついつい」

[No.181]猫の手も借りたくない その1 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/10/06(Fri)-23:38
「それで、」
「持ち帰られる車の中、小枝を奏されるとこれがさすが銘笛。
 それはそれは素晴らしい音色であったそうだ」
「ほほぅ」
「ところがだ、車が六条の辻にさしかかったとたん、
 いきなり牛が止まって前に進まぬ」
「クソでもしたか」
「そんなものではない、舎人たちが前をみやれば辻の彼方から
 鬼火がこちらへ向かってくるのが見えたらしい」
「鬼火・・・そぅか昨日は子の日じゃねぇか。忌み日に辻を通っちゃぁマズイぜ」
「三条様も舎人達も小枝の音色に心を奪われ、すっかりと
 その事を忘れておられたようじゃ
 そうこうするうちに鬼火はどんどん近づいてきたそうだ」
「で、どうしたんだ」
「とりあえず舎人たちを車の下に、車の四方に蓬を散らし、
 牛の背に御料会でいただいた牛頭天王の御絵を乗せ、
 車の中で般若経を唱えられていた」
「獄卒の大将か。やりすごすにゃあ悪い方法じゃあないな。で、どうなった?」
「いよいよ鬼火が傍まで来るのをみれば、思ったとおりの百鬼夜行じゃ。
 五徳猫が道払いをし、飛頭蛮がふわふわと先導するなか魔物どもがわさわさと
 六条の辻を上ってきた。そして、連中が三条様の車の傍まで来たところ

 『何よなこの物は』
 『これは牛頭殿ではないか。牛頭殿寝入っておられるか』
 『起こせ起こせ。今宵は夜行なるぞよ』
 『やめい、牛頭殿は寝起きが悪い』
 『おや、この車はなんじゃ』
 『をを、これは人の車じゃ。
  牛頭殿人の車を襲いてひとごこちつかれておられるとみゆる』
 『もぅ、中には残っておらんかな・・・うむ・・・匂いがするが見えぬな』
 『おお、たしかにぷんぷん匂うの。しかし何も見えぬな』
 『うむ、これはなんじゃ?』
 『龍笛だのぅ。なかなかの名品ではないか』
 『この笛は今しがたまで吹かれておったぞ、やはり人がいるのではないか』

「と、闇の中を見えない手が探ってきたときには
 三条殿生きた心地がしなかったそうじゃ。
 それでもただただ一心に般若経をとなえられていると」

 『何をぐずぐすしておる。夜が明くるぞ』
 『そうよの、せめてこの笛でも持ち去るか』
 『よせよせ、牛頭殿に黙ってはならぬだろう。牛頭殿にお聞きして、
  よければ次の夜行の際にいただけばよろしかろう』
 『そうさな、では次の宵に・・』

「そう言ったとたん、闇の中で浮いていた小枝が音もなく落ちたそうじゃ」
「それで」
「しばらく物の怪供は気配を残していたが、それもだんだんと薄らいでゆき、
 三条殿が顔を上げられた頃には夜も白々と明け染めていた」
「とんでもない話だな」
「ようやく動けるようになった三条殿が、車の下を覗き込むと、
 舎人たちがおこり病のように身体を折って、歯をガチガチとならしている。
 呼べと揺すれどまったく動けない」
「ふむ」
「牛はといえば眠るように息をひきとっていたそうじゃ」
「それでどうしたんだ」
「そうこうするうちに明け廻りの検非違使が通りかかったので、三条殿事情を話して
 お屋敷に伝をいれてもらい、なんとか帰られたが問題は次の巳の日」
「また百鬼夜行が出るって事か」
「左様、それも今度は牛頭天王を引き連れてやってくるに違いないと・・・」
「まぁ、一度たばかったからなぁ・・・それに小枝の件もあるし」
「御身を護るには陰陽師に頼み、
 お屋敷に結界なりを張っていただければいいが、問題は小枝じゃ」
「六条院様にお返しすれば禍がおよぶ、かといって抱え込んでいるわけにもいかない」
「うむ・・・そこでだ」
「どこで?」
「おや、どうした?いきなり泡など吹いてひっくり返って」
「あらまぁ、これは先祖代々の発作ですわ」
「こらぁ、何が発作だぁ!いきなり鼎でぶん殴りやがってぇ!!」
「やだ、まだ生きてるわ」
「請負と言うのはこの小枝をじゃな・・」
「ちょっとまてーっ!無視して話を進めるんじゃねえってのに!!」
「まあまあ、百鬼夜行が小枝を求めて来るのは必至。
 ものの本に寄れば怪異の呪がかかっているのは日が一廻りする間という。
 つまりあと1度じゃ。
 そこで、お前らはこの小枝を預かり、次の巳の日の夜に洛中を逃げ回って、
 百鬼夜行よりこの小枝を護ってもらいたい」
「逃げ回るって・・・相手は物の怪じゃねぇか。もしも捕まったらどうなっちまうんだ?」
「いや、そこでお前達猫手組が選ばれたわけじゃ。お前達なら大丈夫」
「大丈夫って・・俺達そんなに足が速いわけでも陰陽道に長けているわけでもないぜ」
「いや、たとえお前達が物の怪に捕まって喰われても、
 六角衆としては全然困らないので大丈夫と言う意味じゃ」
「ちょっとまてぇ!俺達ゃぁトカゲのしっぽかぁーっ!!」

[No.180]猫の手も借りたくない その1 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/10/06(Fri)-23:36
五日後の夜。六条辻
「なんですのこの車はぁ。お頭がおとり用の車を用意するって言うから
 てっきり御所車に乗れると思っていましたのにこのお車
 なにも拵えがないですわ。それにこの床、真ん中に穴が開いていますし」
「なんでも花見の際女房達が使う樋箱車とかって言ってたな」
「樋箱って・・それお便所車のことでしてよ。
 それでこんなところに穴が開いてますのね。でもいったいなんでそんな車を?」
「お頭が言うには、いよいよ雲行きが怪しくなったらこの穴から逃げろってよー」
「無茶言われますわね。物の怪相手にそんな誤魔化しが効くわけないでしょう」
などと言っているうちにあたりはどんどんと闇に包まれてゆき、
辻の彼方に鬼火がぼんやりと光っているのが見えた。
「をっ、来たぜ」
鬼火がふわふわと六条の辻を上ってくる。
その後ろを大きな影が足音も立てずにすっと空をすべる。
影より少し遅れて大きな塊のような影が同じく音もなくやってくる、
と、先頭の影が樋箱車の前で止まった。
 『いつぞやは我等をたばかった人かや。
  性懲りも泣く我等が前に出るとは面映い。車より降りるがよい』
「なんか出て来いって言ってるぜ」
「隠れても仕方ないですわね。まずお話をしてみましょうよ」
と、ごそごそと車から這い出る二人の前に、
頭から三本の角を生やし、尻尾が二股に分かれた大化猫が立ちふさがった。
 『我こそは百鬼夜行の道払い。五徳猫なるぞ』
見上げるような大化猫を前に立ちすくむ二人。
 『どうした人。驚いて声も出ぬるか』
身じろぎもせず五徳猫を見つめる二人・・・そして次の瞬間
「うっそぉーっ!!」×合唱
「おいおいその体型で猫はないだろぉ、ムジナの間違いじゃねぇのかぁ」
「いえ、このお腹は絶対にタヌキですわ。ホラ叩くといい音がしましてよ」
 『な・・なにを言い出すかとおもえば。こら、腹をポンポン叩くでないっ!
  お前らは物の怪が怖くないのか』
「いや、危ないかどうかといわれるとそりゃぁ危なっかしいとは思うけどよー。
 お前さん、怖がったところでどこかに行ってくれるものでもないだろうが」
「そうそう、そんな事でわぁーとかきゃーとか言っていたら長生きできませんわ」
「ホントだ、怖いって言ったらお頭の方がよっぽと怖いわなぁ。ははは」
 『えぇい、ぐだぐたとおちょくりおってからに、おのれ人共、紅蓮の炎受けてみよっ!』
ドッバシャーン!!
 『え゛?・・・うっぎゃぁ水じゃぁー』
「まったく物騒なやつだなぁ。
 こんな狭っくるしいところで火ぃなんて吹いたら洛中が大騒ぎになるだろっ。」
「でも、水をかけられて騒ぐってことはやはりタヌキではなく猫でしたのね・・・
 はいはいおちついて、ほら干し鮎あげますから」
 『ふぎゃぁっグルルル・・・はっ!。こらぁお前らわしを何だと思っているっ!!』
「だからごたく猫だろ。自分でそう言ったじゃねぇか。
 猫だと認めてやってんだから感謝しろよ」
 『五徳猫じゃあっ!
  えぇいっ、もう許さぬ。龍笛を渡せば先日の件は済まそうと思っておったが
  もはやこれまで。百鬼の餌食となれ。出でよ火車!』

と、五徳猫が言ったとたん、
後ろの影から燐光につつまれた御所車の車輪のようなものが現れ、
二人の周りをぐるぐると回りだした。
それとともに燐光に包まれ固まったように動けなくなる二人・・・
「ほほぅ、話に聞く金輪縛りってのはこいつのことか」
 『なにっ、貴様どうして術にかからん』
「どうも子供の頃から物の怪とは相性が悪くってね」
 『貴様何者だ?』
「何者も曲者も、六角衆囃子組の下っ端さ。堀川の諸葛ってんだがね」
 『諸葛・・・大陸一の道士の名ではないか。まさかお主末裔なのか・・・
  そのような力ある血のものが、なぜこのようなところにおる
  陰陽博士でもやっておればいいものを・・・』
「♪流れ流れて落ち行く先ぃはぁー♪ってやつさ。ところでそんな事言ってる
 余裕はあるのかな。金輪縛り。さほど長くは続かん術だろう」
 『そ、そうじゃった。この女のつかんでいる龍笛を・・・をっ・・?』
「あのさぁ、龍笛にぎったままの相手に金輪縛りなんてかけちゃったら
 そのまま固まって抜けるわけないと思わないかなぁ」
 『うっ・・・これは・・・いかん火車、金輪縛りを解けっ!』
言われた火車がさきほどとは逆の方向に二人の周りをぐるりと回ると
縄のように取り巻いていた燐光が消えた。
「わぁ、びっくりしたぁ。
 身体が全然うごかないんですもの。どうしようかと思いましたわ」
「しかしすごいもんだねこの輪っかの物の怪。うちのお頭の周りもぐるぐると
 まわってくれないかなぁ」
「あー、それいいですわーっ。で。動けない間に顔に落書きしちゃったりして」
 『ぬしらは我が身がどういう立場なのかを判っているのか・・・
  えぇい、もぅ我慢ならぬ。即刻その命もらい受ける』
と、五徳猫が再び業火を噴出そうとした瞬間、
闇の中から間延びした声がした。

[No.179]猫の手も借りたくない その1 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/10/06(Fri)-23:35
「なんやなんや、ここはおどろしい気がただよってるなぁ。
 誰ぞそこにおったはるんかぁ?」
と、現れたのは地味だが贅をこらした御所車。
しかし、車には舎人がひとりついているだけで、御簾も上げっぱなし。
中には公家と思われる若者が1人。紅藍の直衣の前をだらしなくはだけ、
車の中で片膝を立て、なんと瓶子を手に酒を呑んでいる様子。
 『なにやつぞっ!邪魔だてすると承知ならんぞ』
「いや、邪魔もくそもあらへん。辻通るんにそないなとこでつまってはるとなぁ
 どもならんでのいてんかぁ」
 『えぇいっ、今宵の人共はどうなっておるか。
  物の怪を物の怪とも思わぬその態度。まとめて成敗してくれる』
と、五徳猫が構えたとたん。若者は前をはだけた直衣の
袖から紙切れをつかんで五徳猫にむかって投げつけた。
紙はまるで生きているかのようにふわふわと飛んで行き、五徳猫の周りを
一巡りすると後ろに従う百鬼夜行の列を大きくめぐって空中に留まった。
「ほぅ、やっぱ熊野の護符は出来がええなぁ。ほな泰親はん頼むしぃー」
「承知。これだけ固まっておられると呪も唱えがいがございますな」
さきほどまで車の側にたっていた舎人が応える。
いや、よくみればその衣装は舎人ではなく漆黒の狩衣姿。
右手を印に結ぶと静かに呪を唱え始めた。
それとともに百鬼夜行の群れはどんどん固まってゆき、
そして一点の光になって闇の中に吸い込まれるように消えていった。

「いゃぁ助かったぜ。恩にきます。お公家さんはどこのお屋敷だい?」
「まろかぁ。まろは見ての通りの内裏勤めの五位サギや。
 四条の河原で白拍子と遊んできた帰りなんやねんけどな。
 巳の日の方違で大路が混んどるんでこっち通ったろ思て回ってきたら
 こんなとこで物の怪が詰まってはるしええかげんわややで」
「ほんと有難うございます。まったくあの化けタヌキ。気が短いから
 どうしようかとおもってましたの」
「おうちらはそのなりからすると囃子方の人みたいやね。
 しかし、気の太いおかたやなぁ。普通あんだけの物の怪見たら
 腰が抜けてまうのに」
「あの程度の物の怪でビビッていたらうちのお頭相手になんてできねぇぜ。
 ところであんたの方こそこそすごいね。こんな夜半に舎人もなしに外出するなんて。
 えれぇ豪胆だ。とても上人とは思えない」
「あぁ、よぅ言われる。ま、ここにいたはる泰親はん強いしな。
 そもそもが夜盗にしたってまろみたいなん襲てもなんの得にもならんし」
「得にもってよー・・・よく言うぜ。
 この車、ぱっと見は地味に拵えてるけどいい持ち物ばかり揃えているじゃねぇか。
 それも殿上人、いや、公卿じゃないと手にも出来ない唐来ものだ。
 あんた、五位サギなんてのはウソだろ」
「あらま、あんさんえらい目利きやな。せっかく夜盗に目ぇつけられんように
 地味にしてたのにわかるかぁ。そら困った」
「困っていないでどうなんだよ。まさか「実は内裏勤めでなく住まわしたもう」
 なーんてわけでもねぇだろうに」
「えっ・・・いやあの・・・ちょっとこら泰親はん。何を笑ろてんのんな」
「くっくっくっ・・・あなたがた、そのまさかでしたらどうなされますかな」
「まさかって・・・お前さん何を・・・え?・・・
 公卿??こんなのが・・・」
「夜半に供も連れないで出歩いて・・・」
「四条河原で白拍子と遊んで・・・」
・・・「あーっ!!!」
 「四宮の阿呆親王」
 「音曲狂いの大たわけ」
「こらこらぁー。よぅ本人を前にしてそこまで言うかぁあんたら。
 そうや、まろこそが内裏の粗大ゴミ・・・ちゃうっちゅうに、四宮の雅仁や」
「いやいや、変わり者とはウワサに聞いていたが、ここまでの御仁とはね」
「まったく、四宮様でよかったですわ」
「夜半に酒食らって洛中さまよってんだもんなぁ」
「あのなぁ、助けてもろといてそこまで言うかぁ。かなん人らやなぁ」
「と。いうことはこちらの泰親はんって・・・陰陽博士の安倍泰親朝臣殿?」
「左様にございます。陰陽師に明るくってらっしゃいますな」
「あぁ、母方の先祖が大陸から陰陽師として流れてきた渡来者だ。
 俺の名は堀川の諸葛」
「ほほぅ、大軍師の血統のお方でござりますか。確かご先代が官職を嫌われて
 洛中に降りられたと聞いておりましたが、このようなとこでお目どおしなるとは」
「とは言ってもそいつぁ親父までの話。俺は見ての通りの囃子方稼業だ。
 六角衆の囃子組に入っている」
「あたくしは白拍子の妙琴といいますの。葛ちゃんと囃子組をやっておりますわ」
「しかし、安倍泰親殿の呪とはね。そりゃああんなムジナ共なんて
 ひとたまりもないわな」

「ところで、おうちらみたいな六角衆が、
 なんでこんなところで百鬼夜行なんぞにからまれとったんや」
「いやね。カクカクシカジカでここにある小枝を護っていたんだけどよ」
「へぇー。伊勢の禿げとこの小枝かいな・・・わぁホンマやぁ小枝やんか。
 そらまた災難やったなぁ・・・
 あ、ちょうどええわ。この小枝まろにちょっと貸したってんかぁ」
「貸してって・・・そんな事できるワケないだろうが」
「ええええ。あの禿げには
 雅仁がちょっと借ります言うてたって伝えてくれたらええし」
「そんな、いくら四宮サンだからってそんな話が通るわけないだろう」
「うー・・・わかった。ほなちょっと書き付け作るしそれを持ってってんか」
「書き付けねぇ・・・いいのかなぁ」

[No.178]猫の手も借りたくない その1 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/10/06(Fri)-23:34
「と、言うことで四宮の雅仁親王が小枝を持って行っちまったんですが・・・」
「お前達。持ってったってそれでは請け負いにならぬだろうが」
「ならぬったってどうしますの。相手は阿呆とはいえ四宮の親王様ですよ」
「うむ・・・で、その書き付けとはどんなもんなんだ」
「これなんですがね、いやぁ、らしいというかなんつぅか・・・」
御紋の入った懐紙はそれだけでもただならぬ地位の者でしか
使えない物であることがわかり、充分な証となる。
そこに筆あとも黒々とほれぼれするような達筆、
まごうことなく四宮雅仁親王のお手に違いない。
宮中に掲げても見栄えのある書だ・・・
ただし、書かれている文字が
 『禿げへ。小枝貸りるしなぁ。雅』
でなければだが・・・

「お頭ぁ。どうなりましたぁ?」
「六条院様はこの書き付けをみたとたん青筋をたてて投げ返してよこされ、
 三条様は寝込まれている」
「だろうなぁー」
「まぁ、我々にはなんのお咎めもないが、ゆくゆく請け負いが
 ひじょうにいただきにくくなってしまったのは確かだ」
「でしょうねー」
「何を納得しておるっ!お前達ちょっとは責任と言うものを感じんのかぁ!」
「だって責任つったって、あの音曲親王が原因なんだから仕方ないでしょう」
そのとき大路から六角堂に響き渡るようによく通る声が響いた。
「おーいっ、猫手組ーっ。居たはるかぁ?」
「あれっ、あの声は?」
あわてて三人が大路に飛び出すと、地味だが素晴らしく高級な拵えの
車が供も連れないで停まっている。
御簾が開け放たれ、その中では紅藍の直衣の前をはだけ、片袖留めず
まくりあげて座っている若者。
「あーっ、雅仁サンっ!」
「暇してんやろー。まろの仕事手伝えへんー?」
「お仕事手伝うっていったい・・・」
「洛中をまわってな、落書や河原者の今様を全部書き留めるんや」
「なんでまた」
「今の都の記録を残すためや」
「都の記録?」
「あぁそや。あんたらな、この都支えてくれとんの誰や思う。
 殿上人や公卿ちゃうで。
 ぎょうさんの下人の人らが物作って食べるもん獲って生きて。
 そんな人らがこの都の雅を支えてはるんや。
 都の人らが何を思って何を唄って生きたはるか。
 それが今の都のほんまの記録や」
「それで、落書や今様を集めてらしたんですか」
「殿上人はひ弱であかんたれやさかいにな、
 身体使って働くというのが出来ん
 そやけど、まろらは字が書ける。紙もある。
 今の都の事を書きとめて後世に残すことが出来る。
 それが仏さんが割り振りはった殿上人の仕事や」
「・・・あんた阿呆だ阿呆だと思っていたけど、芯の太い阿呆だなぁ・・・」
「褒めとんかいな。まぁええ。あんたらも車に乗り」
「車って・・・この御所車に・・・」
「そや。なんや嫌かいな。イケズな連中やなぁ。阿呆の雅仁の車になんぞ乗ったら
 阿呆がうつるとでも思てんやろ。乗りいな」
「いや、そうじゃなくって雅仁サンのほうが・・・
 まっ、いっか。わかりました行きましょう」
「そやそや、まろの仕事手伝ったって」
「手伝うって・・・」
「あんたら表の仕事は屋敷回りの囃子組やろ。そんだけ音曲に長けてんなら。
 まろの集めた今様の節をしっかりと覚えて、いろんな人に伝えて欲しいんや。
 唄は紙に残せるけど節は人が覚えて伝えていかんと消えてまう」
「わかった。この請け負い本気いれさせてもらうぜ」
「あぁ、あんじょうたのんまっさ」

「ところで、これからどこに行かれるますの」
「九条・・・羅城門や」
「羅城門?」
「あそこ、最近夜な夜な鬼が出るらしいねん。それでその鬼が
 聞いたこともないような節で唄うっちゃうこっちゃ。
 この唄を聴きに行こと思てな」
「唄って・・・鬼でしょ」
「鬼やからすごいんやないかぁ。めったに聞けるもんちゃうで。
 大丈夫いざとなっても泰親はんがあんじょうしてくれる」
車の陰から漆黒の狩衣姿の泰親が出てきて静かに笑いかける。
「あぁ、やっぱりこの人音曲狂いの阿呆だわ」
「なんぞ言うたかぁ。ほな行くでー」

「・・・そういえば雅仁サン。あの小枝はどうされました?」
「あぁ、あれか。えぇ音するなぁ。ほんま惚れ惚れしたで。それでな、
 車の中で吹いとったらそのまま寝入ってもぅてん。
 起きたらびっくりや。小枝。オイドの下で折れてもてた」
「折れて・・ってあんたねー」
「しゃないし倉から青葉出してこいつに侘び書きつけて代わりにやった」
「やったって・・・青葉って不出の銘笛」
「ええええ、音曲の道具は鳴らしてなんぼのもんや。
 たいそうに倉にしまっておいてもなんの意味もあらへん」
「いいのかなぁ」
「さあ着いた。ほな、ひと仕事始めよかぁー」

[No.177]秋の七草 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/09/29(Fri)-21:12
山上憶良が
「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また 藤袴 朝顔が花」
とかって万葉集で覚え方を詠んでいますが
 <(違うと思うぞ)

春の七草とちがってどうも覚えにくい。
やはりこれは「秋の七草は食えない」と言うのが、
どうもとっつきにくい理由ではないかと・・・
 <(絶対違う)

「萩・尾花・桔梗・撫子・葛・藤袴」ときて・・・「えっとぉー」
とかってなる事が多いんですよねー。
それか「萩・尾花・桔梗・撫子・葛・女郎花」ときて・・・「えっとぉー」(笑)
そう、ポイントは「女郎花」と「藤袴」

こいつらなんかごっちゃになっちゃいます。
言葉の覚え方ってのにはリズムがあるそうで、
「長短と偶数奇数」が交互に出てくるとリズムとして残りやすいそうです。
と、なると
「萩・尾花・桔梗・撫子・女郎花・葛・藤袴」
って並べるといいかなって考えたんですが、どうもしりきれトンボ。

この季節になるとなんかいい覚え方はないかなっていつも
考えてしまうちすです。

[No.176]おいしく籠城 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/09/02(Sat)-22:39
ビタミンC
御存じ無い方はいませんよネ。
ビタミンCは人間にとって必須なビタミンです。が、
ヒトの体内では合成されないので直接摂取されなければならないのです。
かつて、大航海時代には欧州の多くの船乗り達が生鮮野菜不足からくる
「壊血病」で命を落としました。
ちなみに、この「壊血病」の予防のために我が国で科学的な対策を初めて
行ったのは幕末に五稜郭に立てこもった幕府軍です。
幕府軍野戦病院を指揮されたのが、後の日本赤十字総監の高松凌雲センセ。
当時最新の医学知識を学ばれていた高松凌雲センセは、
「壊血病」の予防には生鮮野菜が必要であることを御存知でした。
が、いかんせん
立てこもり状態の五稜郭では生鮮野菜を手に入れる術はありません。
幕府軍の兵たちは倦怠感を訴え、顔色は浅黒くなり、
皮膚の艶・弾力がなくなるという典型的な「壊血病」の症状を示していました。
そんなとき、南部藩の兵達が「壊血病」の症状をほとんど示していない
事に気が付いた凌雲センセは、彼らと他の兵たちとの
食べ物の違いを調べてみたのです。
すると、南部藩の兵達は他の連中が捨ててしまう「すえた漬物」
 <(醗酵しすぎて酸っぱくなったやつ)
を、洗って胡麻油で炒めて食べている事がわかったのです。
これは、食物の乏しい山間部ならではの調理方法なのですが、
この漬物の油炒めこそが「壊血病」を治療する画期的な食べ物だったのです。
乳酸菌醗酵した漬物は多くのビタミンCを産生し、
そしてビタミンCは油に溶けます。
通常、立てこもりの闘いでは負傷して死ぬよりも病で死ぬほうが多いのですが、
この五稜郭の籠城においては、
投降した兵のほとんどは元気だったという記録があります。

ちょっと酸っぱくなった白菜漬や野沢菜漬がありましたら、
捨てたりせずに、
軽く洗って胡麻油で炒め、醤油をひと回ししてお召し上がりください。
これに卵でも落とせばもっとグッド!
味もいいし栄養価も抜群のオカズになりますよー。

[No.175]フェスの怪談 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/08/09(Wed)-21:50
夏といえば・・・でふと思い出した「フェスの怪談」

あれはもう二十余年前の夏も終わり頃、相模湖のキャンプ場でした。
今は「ピクニックランド」とかって名前になっていますけど、
その頃は水場とトイレがあるだけのただっぴろい野原で、
そこでブルーグラスのフェスがあったんですね。
夏休みのバイトを終えたちすは、残り少ない夏休みを帰省しようと、
愛車を転がして西に向かっていました。で、
たまたま道程の途中にフェスがあることを知って立ち寄ったんです。

今と違って関東圏のほとんどの大学にアメ民があった時代ですから
参加者も沢山いました。
一晩のフェスなのに40バンドくらいいたんじゃないかなぁ。
バンドあたりの持ち時間は3曲だったと思います。
単独でやってきていたちすは、エントリーすることもなく、
テントの側でオートハープを弾いたり、ジャムに参加したりして
わいわいと遊ばせていただいておりました。

夜も更けて丑三つ時・・・
これもまた今と違って平均年齢が若いもんでから(笑)
ほとんどの参加者はまだ起きていて、いたるところで騒いでいたのですが、
たまたま、ちすの参加していたジャムはちょっと外れた空白地帯にいて、
周りに他の人たちの姿はなく、参加者数名だけが暗闇に向かって
演奏をしていたんです。
そのうち、フラマンを弾いていたヒトが「トイレ行ってくるー」と暗闇に
向かって歩いていきました。
「おいおい、トイレはそっちじゃねえぞぉ。まったくぅ」
などと言う声を背中に闇に消える人影。
もちろん、楽器が一つ消えたところでジャムは支障無く続けられ、
何曲かフラマン無しのインスト回しを続けていると、
闇の中からフラマンのカッティングの音が近づいてきました。
「おー、根性だねー。カット入れながらこっちに来ているよ」
「いやいやアッパレ。さぞやビルモンロー様も草葉の陰で喜んでおられることだろう」
「まだ死んじゃあねぇだろうがっ!あぶねぇなぁ」
なーんて言いながらインストってたんですが、そのカット音、
ちょっと手前からいっこうに近づいてこない。
そして、「おーいっ、何やってんだぁ。こっちだぞぉ」
と声をかけたとたん。
全然違う方向からマンドリン弾きがぬっと現れて
「いゃぁ、帰り道を迷っちゃったよー」と・・・

パニくりましたねぇ。ホント
心臓が口から飛び出す気分ってのは、
あぁ言う状態を言うでしょうね。
バンジョー弾いてたヤツなんて地面に座り込んじゃったですもの。
あまりの事に声も出ない、「あわわわわわ」ってやつ・・

で、足元に置いていたランタンを
さっきまでカット音がしていた方向に向けてさらにびっくり
キャンプ場はそのあたりで終わっていて、
そこから急に深く数メートル沈みこんで川が流れていたんです。

マンドリン弾きの言うには、そこらでトイレを済まそうと闇を抜けていったら
キャンプ場が終わっていたんで、大きく回り込んでトイレまで行き、
こんどはテント群を抜けて戻った来たとの事。

結局、みんな怖くなってテント群に戻って、
「何事もなかった顔で」座ってたんだけど、
誰一人「先に寝る」などとと言えなくなっちゃって・・・
明るくなるまでしゃべっていました。

夏が来れば思い出す。フェスの怪談でした。

[No.174]怪談 「着信アリアリ」 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/08/01(Tue)-20:14
学会を明後日に控え、
俺は実験室に泊まりこんでデーターを作る事になった。
まったく、学生をドレイの一種だとしか思っていない教授だが、
逆らうと単位がもらえないのでしょうがない。
苦労して進学しても世の中こんなものだ。
友人達は
「気をつけろよー。
 あの実験室に泊り込むんだやつはロクな目にあわないってウワサだぜー」
なとど脅かすが、いかんせん俺はそういうものに鈍いらしく、全然感じた事が無い。
できれば一度ぐらいは幽霊とやらにお会いしたいと思っているぐらいだ。

深夜の学校は静まり返り、暗い実験室では計測器と俺の前のディスプレイだけが
ぼうっと光っている。
俺はときおり襲ってくる睡魔と闘いながら計測器がはじき出す数値を
キィボウドに打ち込み続けていた。

深夜零時。いきなり机の上の携帯がメールの着信を表示した。
「なんだよぉ、こんな夜中にぃ。びっくりするなぁ。
 おやぁ、このメール。発信元も題名も表示していないじゃないか。
 こりゃぁ迷惑メールだな。こんなものにかまってられるかっ!」
と、俺はそのメールを開きもせずにほったらかしにしておいた。
ところがそれからその発信元も題名もない迷惑メールは一晩中続いたのだった。
そして・・・
ようやく、データ入力が終わったときには窓の外はしらじらと明けていた。
「やれやれ、なんとか間に合ったか。しかし昨日の携帯のメールはしつこかったなぁ。
 迷惑メールもいい加減にして欲しいもんだぜ。それともこれが学校に泊り込むと
 ロクな目に合わないって噂の真相だったりしてな」
と、携帯を開くと<未読メールが13通あります>との表示
発信元も題名も表示されていない。
「見ないで消すのもなんだからひとつ開いてみるか」
と、メールを開いた俺はその不思議な内容に次々とメールを開き、
そして青ざめた。

 001:『着信00:00 今から逢いに行きます』
 002:『着信00:50 大学に着いたわ』
 003:『着信01:30 教室の前よ。すぐに逢えるわ』
 004:『着信02:00 今、あなたの後ろにいます』
 005:『着信02:10 ほら、あなたの左肩に手をかけたわ。私の存在を感じるでしょ』
 006:『着信02:20 ふふっ、判らないふりをしてもダメよ。もうあなたはとり憑かれたの』
 007:『着信02:30 あのーさっきから居るんだけど・・・。をーいっ!メール見てるー?』
 008:『着信02:50 すみませーん、幽霊なんですーっ。いい加減に気づいてくださいー』
 009:『着信03:00 ちょっと、物差しでぽんぽん肩なんて叩かないでよ。危ないでしょ!』
 010:『着信03:20 ねぇあなた鈍すぎないっ?。ほら、ちょっと振り返ってよーっ!』
 011:『着信03:30 こらぁ、机に突っ伏して寝るなぁ!。起きろーっ。後ろ見ろーっ!!』
 012:『着信04:00 夜が明けちゃうよー。ねえ、ちょっとでいいからこっち見てよー』
 013:『着信04:30 だめーっ。明るくなってきちゃった。バカボケオタンコナスーっ!うえーん!』

どうもこの実験室に幽霊が出るというのは本当の話だったようだ・・・
しかし、幽霊も着信を確認しているだけか、メールを開いているかちゃんと見ろよ。
俺は出来上がったレポートを手に朝食を取りに学食に行き、
朝めしを食べに来ていた友人に、着信メールを見せながら昨晩の事を話した。
「そうかぁ、お前鈍くてよかったなぁ・・・俺なんてすぐに感じる方だから
 とり憑かれていたかもな・・・
 ところでよ、
 さっきからお前の背中にくっついてぐすぐす泣いている女の子は誰なんだ?・・・」

[No.173]酸素 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/07/30(Sun)-22:00
生物屋にとっては酸素って知れば知るほど怖い物質です。
地球上の大半の命が必須とする物質なのに毒性物質。
酸素100%の環境下では生命は維持できません。
構造的に不安定なのに大量に存在する。
この不安定さが回りの物質から電子を奪おうとする酸化反応です。
ちなみに、生物がその酸化反応を利用してエネルギーを得ようってことは、
生体自信を犠牲にしてエネルギーを得ているって事なんですネ。
結局、生きるってことは単純に
死に向かっていく過程に過ぎないのかなぁって思っちゃいます。

んじゃ、そんな危険な方法じゃなくってエネルギーを得ることが
できる生命体が存在するとしたら・・・
寿命は長いだろうけど進化は出来ません。

命ってーのは宇宙って舞台に次々と現れて、
数十万年って短いショーを演じては消えてゆく役者のようなものです。

さて、地球という舞台に立つ中高年の皆様は
カーテンコールのご挨拶の準備は出来ておられますか。

[No.172]仕事量 投稿者:Refrain 投稿日:2006/07/25(Tue)-15:59
人 ひとりが 一生の間にできる仕事量はあまりにも小さい
人 ひとりが 一日の間にできる仕事量は結構大きい

[No.171]世界が1つの村だったら 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/07/25(Tue)-12:51
「世界をひとつに」・・・
これは平和主義者・独裁主義者・宗教家・地球制服をたくらむ悪の組織に
共通した望みです。
世界を1つということはもちろん、その受け皿である地球を大切にしなくてはいけません。
作物は肥料をつかわず、生き物は自然のものをいただき、
空気を汚染するようなものはすべて排除し、資源は次の命に残してゆく。

「世界が地球にやさしい1つの村だったら・・・」
いったいどのような生活になるのでしょうか。

 ・上水道は100人に1つ配置されます。給水は1日2時間です
 ・電気の供給は10日に一度ずつ。10w程度の電球を灯すことができます。
  また、100人に1台のラジオかテレビが配布されます。
 ・抽選で400人に1人が生涯に1度だけ飛行機に乗ることができます。
 ・10年に一度、電車で20kmまでの移動ができます。
 ・6人に1つ傘か雨具が与えられ、40人に1人は屋根のある家に住めます。
 ・冷蔵庫が100人に1台あります。
 ・自動車が1000人に1台あり、年間40リットルのエコ燃料を入れることができます。
 ・武器や兵隊がいらなくなるので、その分の経費が均等に戻されます。
  そのお金で米か小麦を1kg手に入れることができます。
 ・100人に1人が高等教育を受けることができます。
 ・コンピューターは100人に1台ありますが、動かすための電力は1週間に1度
  ぐらいしか供給されません。
 ・2年に1度靴が、1年に1度衣服が手に入ります。
 ・年に2度のお祭りが楽しめ、その時に煙草20本かお酒200cc。または
  それぞれの人種が希望する相当量の嗜好品が手に入ります。
 ・仕事は1日あたり10時間で、10日に一度お休みがあります。
 ・怪我や病気で動けなくなった人は、抽選で5人に1人に薬があたえられ、
  30日の間ベッドに横たわることができます。
 ・食べるものは常に不足していて、入手は1日に1回。量は1人1200kcal程度です。
  しかし、これでは命は維持できません。
  そこで毎年8人に1人の人口を間引いてゆきます。
  間引く比率は公平に人種比率に従って決められるので、
  アジア人が6人に1人、ヨーロッパ人が18人に1人、
  アメリカ人が20人に1人、アフリカ人が30人に1人ずつです。
 ・体調により、栄養失調に苦しむ人が10人に1人ぐらいいます。
 ・病気にかかったり事故にあったりしなければ、50歳程度まで生きることができます。
 ・子供は7歳までの間に5人に1人が亡くなります。

村には戦いも不公平もなにもありません。誰かが贅沢に暮らしたり、
特定の誰かが飢えに苦しむこともありません。全てが同じですべてが平等です。
能力の劣るものにあわせて、仕事の量は調整され、
技術や技量を誇示して評価に差がついたり、
仕事ができない人が卑屈になったりしてはいけないので、
能力のあるものは仕事をやり過ぎないようにします。
街を歩く人達は、1番歩くのが遅い人に歩調をあわせます。
病に苦しむ人を無理に生きのびさせることもしないし、命を絶ちたい人の意思を
束縛することもありません。誰もがお互いにやさしく見守りあっています。

「世界が1つの村になったら」・・・それはどんな夢なのでしょうか。

[No.170]ほいと 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/07/22(Sat)-16:20
小学校低学年だったころ。
田舎の方ではまだ、村落のお屋敷を訪ねて物ごいをする乞食がいました。
ちすの本家でもそういう人達はよくおとづれて来ていて、
その度、祖母は懐紙にいくばくかのバラ銭を包み、
「ほいと(陪堂)が来とるよって、施しといで」とちすに渡していました。
子供が出てくると、乞食の方もこれ以上粘っても仕方がないと思うのか、
そのバラ銭の包みを受け取って何処ともなく去ってゆきます。

あれは小学校1年生の時だったか・・・
夏休みの時だったように覚えています。
庭で池にあがってくるサワガニをいたぶっていたちすは、門扉のあたりに
ふと人の気配を感じて目をあげました。
すると門柱にもたれるように年配の
 (子供の目にはそう見えただけなのかもしれませんが)
白い服を着た男が立っていました。
ちすは「あー、またほいとが来とるなぁ」って思い、祖母に知らせるべく
母屋の方に行きました。
で、「玄関にほいとが来とぉでぇ」と告げると、
祖母は勝手口からのぞき込んで、「あ、私が出るわ」と言ったのです。
いつもと違う様子にちすが不思議に思ってついていくと、
祖母は懐紙で五百円札を包み、門柱に持たれかかっている人物に向い、
「大変なこっちゃなぁ」と声をかけてそれを渡したのです。
その時、初めてそのほいとの姿をゆっくりと見ることが出来ました。
彼は、白い詰め襟の服に身を包み、足にはゲートルを巻き、
そして片足は膝から下が無く、アメ色のゴムのような物でできた義足を付け、
門柱には汚らしい松葉杖を立て掛けてあったのです。
包みを受け取った人物は、松葉杖をつきながら去って行きました。
祖母に「あのほいと。なんなん?」って訪ねると、「傷痍軍人や」
と遠い目をしながら祖母が答えました。
あとから考えると、そのほいとが本当に傷痍軍人だったかどうかは疑問です。
ただ、生きるための事だったのかもしれない。
もちろん、祖母もわかっていて、それでも施しをしたかったのでしょう。

昭和41年。
「もはや戦後ではない」と施政者が宣言してから十年が経っていました。

「安らかに眠って下さい」なんて言えない、言わせたくない。
「傲尽くした揚げ句に、ぶざまに負けて申し訳ない」と言って欲しい。
でないといいかげん皆さん、化けて出てきはりまっせ。

[No.169]万年カレンダー 投稿者:Refrain 投稿日:2006/07/22(Sat)-14:07
は じまりが気になり
が イドブックを片手に
い ろいろと眺めてみた
た イトルで探してみると
い いものがあった
と おい昔のことで記憶は定かではない
お 誕生日は何曜日
う まれた日は金曜日だった
と くにとりえのない私だが
は っぴーな毎日を過ごしている
あ る時には冷や汗がでることもある
ぷ リンが食べられないときもある
が まんしよにもオートハープも
ひ けないほどの辛さ・・
け つだんの時はやってきた
な んとしても
い かなければ 歯医者へ!

[No.168] 投稿者:サッキー 投稿日:2006/07/21(Fri)-17:35
人間不信
そう片付けると短絡的すぎるだろうか?

人とはやっかいな生きもので
自分の利益のためならば
なりふりかまわず 何でもするらしい

財布を盗まれるのは
そこに財布を忘れた方が悪い

財布を忘れた事と、その中にかけがえのない宝ものを
入れたままにしていた自分
それが一番腹立たしい
拾ったもの勝ちがその世界のルール

ほんとバカだよなぁ

人は嫌いだ。嫌いになった

[No.167]フランクリン探検隊 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/07/14(Fri)-20:48
The Pentangleの
Cruel Sisterのアルバムには「Lord Franklin」という曲も収録されています。
これは1848年にジョン・フランクリン卿が率いる北極探検隊が
極地で座礁し、消息を絶った悲劇を唄ったバラッドです。
探検隊の捜索は12年にわたって続けられ、そしてその悲劇は座礁した事よりも
生きようとした事であったことが判明しました。

1845年5月
59歳の探検家ジョン・フランクリン卿を隊長とする、士官23名と船員106名。総勢129名からなる
フランクリン探検隊は、「エレバス号(地獄)」と「テラー号(恐怖)」
という二隻の帆船に分乗して、意気揚々と旅立ちました。
フランクリン探検隊の目的は、
大西洋から北極海をめぐって太平洋に抜け出る北西航路の発見にありました。

2ヶ月後に探検隊はグリーンランドのディスコ島に立ち寄り、
補給船からおよそ3年分の食糧品の缶詰と飲料水、燃料などの補給を受け、
一週間後にランカスター海峡の入り口で、二隻の捕鯨船とすれ違い、
この日以来、探検隊の船は消息を絶ちました。

1848年6月
フランクリン捜索隊が組織され、北極海に向いました。
しかし、なにひとつ手がかりを得られないまま、翌年の秋イギリスに帰還しました。

1849年5月
蒸気船二隻を含む五隻の大規模な捜索隊が組織され、米国政府も二隻の船を出して
捜索活動に協力しましたがなんの手がかりも得られませんでした。
その後、何度にもわたり捜索隊が組織され、合計30隻を超える探索船が北極に派遣され、
ようやくフランクリン隊の足取りが見えてきたのでした。
それと同時にフランクリン隊を襲った悲劇についてもその詳細が判ってきたのです。

****************

1845年9月
北上を続けていたフランクリン隊は、海峡に張り詰めた氷に閉ざされ、
進むことも戻ることもできない状態になり、近くの島で越冬することにしました。

1846年8月
夏が近づいても極地の厚く張り巡らされた氷は溶けませんでした。
やっとの思いでフランクリン隊が船を動かせたのは、もぅ夏も終わろうとしている頃でした。
氷から解き放たれたフランクリン隊は、南方に向かいます。
そして、海峡を過ぎ、アメリカ大陸に近接するキング・ウィリアム島が見え、
太平洋まであと200kmというところで再び氷に閉じ込められてしまったのです。

1846年9月
潮流に乗って運ばれてくる氷はどんどんと船の周りに積み重なり、
船はまったく動けません。 
周りには島もなにもなく、船全体が氷に圧迫されてギシギシと軋んだ音を立て、
いまにもバラバラになりそうな状態になりました。
船から一歩も降りられない幽閉されたような船の生活で、彼らは耐えました。
唯一の救いは食糧があることでした。

1847年6月
2年目の冬が過ぎ、やがて夏がやってきました。
しかし船は依然として氷に閉じ込められたままでした。
フランクリン隊長は寒さと疲労により倒れ、そのままこの世を去りました。

1847年9月
隊員たちは3度目の冬を迎えようとしていました、
極限状態の中、何名かの隊員たちがフランクリン隊長を追うように相次いで斃れ、
3度目の春を迎えることができたのは105名でした。
しかしそれは、かろうじて生きているというだけで、
大半の者は壊血病と缶詰の鉛害で極度に衰弱し、瀕死に近い状態でした。
そして、とうとう恐れていた事態になりました。そう、備蓄の食糧が底をつきはじめたのです。
このままじっとしていれば全滅するのは時間の問題。

1848年4月
彼らはわずかに残された生きる望みにかけて、船を捨て、自力で氷原を渡り、
25km先のキング・ウィリアム島に辿り着く道を選びました。
三隻の救助用ボートに可能な限り食糧を積み込み、ボートを引いて氷原へと降り立ちました。
荷物を満載したボートはジリジリとゆっくり氷原を進んでいきます。
スタートして1ヵ月。過酷な旅に20名の隊員が斃れました。
それは、ボートを引く人員が減ったことを意味します。
彼らは仕方なく、食糧を積んだままのボートを一隻捨てました。

1848年7月
隊員たちは弱った身体に鞭打って、重いボートを引きながら前進を続けました。
しかし日が経つにつれて、仲間は次々と斃れてゆきました。
この犠牲となった隊員たちはのちに白骨死体となって発見されましたが、
どの遺体もうつぶせになって倒れていたそうです。
それは彼らが斃れた者がいても振り返ることもしないで、ただ一心に進んだことを意味します。
歩くだけで精一杯だった彼らには、埋葬するようなエネルギーは残されていなかったのです。
死の行進を物語る人骨の道しるべは氷原に延々と続いていました。

1848年9月
やっとの思いで氷原を渡り切り、キング・ウィリアム島に辿り着いたときには、
生き残った隊員たちは半数以下になっていました。
しかし、それは新たなる悲劇の始まりだったのです。
冬が近づいていました。
キング・ウィリアム島には食料となるような大型の動物達はほとんど生息していません。
いたとしても衰弱した彼らの力ではどうにもならなかったでしょう。

後に、捜索隊に「死の湾」と名づけられた島の入り江からは、
彼らが引いていたボートとともに露営の後が発見されました、
そこには切断されたいくつもの人骨がちらばり、
そばにあった鍋の中には切り取られた身体の残骸が入っていました。
想像を絶するような飢餓の中、生き残る為に他に手段はありませんでした。

雪に埋もれたボートの中には二つのまだ白骨化していない遺体がうずくまっていました。
フランクリン隊最期の隊員は、ここで息を引き取ったものと思われます。
彼らの側には聖書。そして、彼らのものではない人骨が転がっていました。

 ♪In Baffin Bay where the whalefish blow
  The fate of Franklin no man may know
  The fate of Franklin no tongue can tell
  When Franklin along with his sailors do dwell♪

[No.166]Cruel Sister 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/07/12(Wed)-12:21
「クルエル・シスター(残酷な姉妹)」 というくっそ長い唄があります。
もともとは英国の伝承バラッド。
こいつをThe Pentangleという英国モダン・トラッドのバンド70年代にヒットさせました。
我が国ではオートハープ奏者の第一人者の木崎豊サンが「二人姉妹」と言う題名で
ライブ等で唄われています。
その内容は、
 北の海のほとりに住む二人の姫が1人の騎士取り合ったあげく
 姉姫は妹を崖から海に突き落として殺害します。
 そこを通りかかった吟遊詩人が妹姫の遺骸を拾い、骨と髪でハープを作る
 そして、吟遊詩人は姉姫と騎士の結婚式に招かれ、
 妹姫の骨で作られたハープがひとりでに歌い出し、姉を告発 する。
という、お昼の奥様劇場もびっくりのスゴイもの(笑)

で、この唄を聴いたときにちすが不思議に思ったのがハープ。
吟遊詩人はどうして妹姫の遺体からハープを作ったかと言うことなんです。
いくなんんでもちとエグイのではないか、吟遊詩人のモラルはどうなってる。
第一にバラした遺体の残りはどうしたんだ、
いったいどこの骨でどんなハープを作ったんだ・・・等々

と、言うことで「クルエル・吟遊詩人」のお話ーっ!

中世期の吟遊詩人というのは非常に身分の低いものでした。
また、定住していないと言うことは教会を持てないと言う事です。
我が国でもそうでしたが中世時代、寺に帰属していないと言うことは
戸籍がないと言う事です。実際吟遊詩人たちは異教徒や宗教を持たない
者が多かったようです。
この宗教をもたないという吟遊詩人の特徴が「遺体から平気で楽器を作る」
というお話になるワケですね。
さてさて、
 ♪流れ流れて 落ち行く先は 北はシベリア 南はジャバよ♪
などと海岸を歩いていた吟遊詩人クン。
ふと前を見ると女性の遺体がすっ転がっている。
「あらまぁ、こんなところで行き倒れかいな・・いや、ぐちゃぐちゃやなぁこの仏さん
 そうかぁ、こら上から落ちてきたな・・・」
遺体に群がっているカニやフナ虫を払いのけて、
「ををっ、えぇ着物着とるやないか。とりあえずもろとこか・・」
と、ドレスを剥ぐ。
そして、「ちょうどええか、ちょっとここらで落ち着くか」
てな事で、海岸べりの草むらに遺体を運び、解体にかかります。
「なんのため?」って・・・そりゃぁいただくからに決まってるでしょ(笑)

解体したお肉は海水で洗って干しますと、数日はいただけます。
臓物などはこいつをうっちゃっておきますと、海鳥なんかが
突きにきますので、こいつをとっ捕まえていただきますと、これもまた
美味しいものです。吟遊詩人にはグルメが多かったでしょう。
また、遺体の残りも1つ残らずいろんな生き物の命の糧となっていきます。
なんと美しい命の摂理。
 ♪神 空に しろしめす すべてこの世はこともなし♪
ってやつです。

さてさて、何日か過ごしておちついた吟遊詩人クン
「そろそろ仏さんも片付いてきたし、移動しょうかなぁ・・
 あ、そや。この仏さんで楽器でも作ってこましたろ。どこぞの祭りで
 酔狂なダンナが買ぅてくれるやもしれんし・・・」
と、まぁハープを作り始めるワケですね。
実際このような骨の加工品たら、頭蓋骨の飾り物と言うのはウケました。
死と言うものを魂の旅立ちと考えていましたから、置いていった肉体は
どう使おうと気にしていなかったのです。

ここで次の疑問。「どこの骨でハープを作ったか?」
はい、普通に想像されるのは肋骨辺りの輪切り状態に、
髪の毛の弦を張った竪琴のようなものでしょうね。
実際にはこれは無理です。
まず肋骨は背骨の部分で接合していませんので
 <(くっついていたら動けませんもの(笑))
外した肋骨は直径がせいぜい1p程度の湾曲した棒です。
こんなものどう組み合わせても貧弱ですよね。
無理に枠を作ったとしても、ここに弦をはったところで
ピンピンした音がでるのがやっとです。反響する部分もありませんし。
するってーと、どこならハープになるか?
最適なのは腰骨です。
腰骨はヒトの骨格の中で最大でまた最強のものです。
これなら弦の張力にも耐えるでしょう。
腰骨の縁に沿って弦を張り、腰骨のへこみの部分で音を反響させる。
形状的にはツィターに近いものとなるワケです。
で、こいつを抱きかかえてかき鳴らしながら唄うって・・・
ををっ!これはオートハープではないかっ!!

と言うことで、「クルエル・吟遊詩人」は元祖オートハーバーであったと
思いをはせながら木崎豊サンの「クルエル・シスター」を聴いてみる。
ほーら、美味しく妹姫をいただきながら唄っている吟遊詩人の姿と
重なってくるでしょ・・・

[No.165]蓮の葉が増えたら 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/07/10(Mon)-22:54
「蓮の葉の増加のたとえ話」
有名なお話ですから皆様御存知ですよね。
池にある蓮の葉が毎年2倍2倍に増えていくとしたら、
1年間で1枚の蓮の葉は2枚になり、
その次の年はそれぞれの葉がそれぞれ2枚に分かれるので4枚の蓮の葉になり、
その次の年には4枚の蓮の葉がそれぞれ2枚に分かれるので8枚の蓮の葉に。
そうやって増えてゆくと3年後に8枚、4年後に16枚、5年後に32枚・・・
ある年に、池の半分が蓮の葉で埋まっているとします。まだ半分の余裕があるので、
まだまだ大丈夫と思っていたら、次の年にはいっぱいになっちゃって、
その次の年に蓮の葉は滅びてしまうという話で、自然破壊の危機を例えたお話です。

さて、そんな寓話はいいとして、実際の蓮の葉ってのはひじょうに
厄介なシロモノです。
池が蓮の葉で覆われてしまうと、その池は死んでしまうからです。
なぜなら、降り注ぐ太陽の光は池の表面に広がった蓮の葉が全て受け止めて
水中のプランクトン達の元に届かないからです。
また、池の表面を蓮の葉が覆うことで、水面に波が立ちにくくなります。
「波風が立たない」
こんな事をいいものだと思っているのはシッポを持たないケモノぐらいです(笑)
池の表面に波が立たないと、空気は取りこまれず、
水中の酸素量はドンドンと失われ、水の撹拌もなくなり、
どんどんと水は死んでゆきます。
暗い水の中では、生き物が餓えと窒息に苦しんだ揚げ句死に絶え、
その遺骸は水底へ沈んでゆき、土の中で待ちかまえている蓮の根に栄養分として
取り込まれて、どんどんと太ってゆきます・・・その名は「蓮根」

[No.164]踏み絵ライブ 投稿者:ちーままのだい 投稿日:2006/07/09(Sun)-07:36
前にもあったけど
同じ日にあちこちで、いろんな人のコンサートがあり
どれに行くかを選ぶことで
一番大切に想ってる人がわかる・・という。
半分冗談で「今日は踏み絵ライブ〜」
なんて言ってたけど

今度の今度こそが、本当に試される時
そんな風に思ってる

「好きです〜、応援してます〜」と口では言いながら
別のところへ行く人のまぁ多いこと、多いこと

好き好きだからかまわないんだけどね
それなら
思ってもいない事は口にしない方がいい
黙ってどちらかを選べばいい

最近、やけに敷居を低くしてくださってる
おそらく
断腸の思いなんだろう

そんなにヒト嫌いではなかった私だけれど
最近
ヒトは信用できない、ヒトは嫌い
なんて風になってきた(笑)

[No.163]秋成忌 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/06/28(Wed)-18:40
本日は上田秋成忌です

ま、旧暦ですから本当はもっと暑い盛りのときです。
ご命日に秋成サンの名著「雨月物語」を読むには、旧暦に従った方が
ふさわしいかもしれませんね。

ちすが文章として1番好きなのは「白峰」なんですが、
ふと、「菊花の契」の冒頭はこんな始まりだったなって思い出していました。

 ♪青々たる春の柳 家園に植うることなかれ
   交わりは軽薄の人と結ぶことなかれ
   楊柳幾度か春に染むれども
   軽薄の人は絶えて訪う日なし♪

人を想う気持ちはどんなときもまっすぐに根を張っているべきですね。
春の風を受け流すように茂っている楊柳は、栄えているように見えますが
叩きつけるように吹き付けてくる秋の風には耐えることができません。
風を受け流しあっているだけの交わりを、友や仲間と呼んでいたら。
いつしか、本気で人を想う気持ちすら忘れてしまいます。

友とはきれいな道を共に歩む者のことではなく、
最悪の道を選んだときに隣に居る者をいう。

雨月物語。ひも解いてみませんか。

[No.162]少子化対策 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/06/08(Thu)-19:55
巷では、幼いお子様が殺されたり虐待されたり
というようなニュースが飛び交っています。
ただですら少子化のとまらない状況なのに、身勝手に子供を殺しちゃって、
いったいこの国はどうなるんだ、あぁ、古きよき母性愛よ今はいずこ・・・
なーんて事をほざいている方も多々おられます。
でも、ほんとに昔は子供を大事にしていたんでしょうか?
いえいえ、そんな事はありません。平安期の律令、弘仁格式によりますと、
子が親を捨てると罰せられましたが、親が子を捨てる事は自由でした。
御成敗式目の頃になりますと、「間引き」の数を荘園主に届け出ていました。
よーするに子供の間引きが公式に認められたものであったということです。
ちなみに、この間引き。毎日の食べ物にも事欠くほど貧しいので、
親も涙ながらに仕方なくやるものだろうなーんて考えちゃいますが、
実際には生活水準を維持するために子供を増やしたくないという、
現在と大差ない理由によるものでした。

そんな流れがガラッと変わったのは明治期です。
富国強兵。お国のために産めよ増やせよ、
兵隊となる男の子を産むのは国母である。
偉いぞ凄いぞ大したもんだ、なーんて事になってしまいます。
と、言うことでやっと子供が大事にされるようになったところ、
敗戦によって富国強兵の時代は終わりを告げます。
そして、子供が国家的に大切にされた時代を覚えている方々の大半が
鬼籍に入られた今、子供の命は風前の灯です。
子供より自分の生活が大切だというのはヒトの本能のようです。
かくして、年金体制が破綻しようとしている我が国の現状。

今こそ子供を守るための新しい方策が必要です。
「子供を大切にしましょう」なんて倫理では子供は護れません。
ましてや法に何が出来るでしょうか。
国家体制がアテにならなかった敗戦時の戦災孤児達の状況を思えば
そんなものがなんの役にも立たない事は明白です。

そこで、「祟り」です。
有識達によってたかって理論をひねくり回していただき、
「10歳以下の子供は特殊なエネルギーを持っていて、
 殺されたり虐待されたりするとその恨みが祟る事が証明されました」
と派手に発表していただくのです。
もちろん国民全てが納得いくようなデーターもでっち上げます。
そして、世の不可解な現象。不幸な事例は片っ端から「子供の祟り」にしてしまうのです。
それと同時に政府は、秘密裏に「怨念戦隊タタルンジャー」を組織し、
子供を殺したり、虐待した大人たちに祟りとしか思えない制裁を加えてゆきます。
続いて、
「子供の持つ特殊なエネルギーは他者の祟りから肉親を護るバリヤーともなる」
と、ブチあげていただきます。
「私達はこうして身に覚えの無い幽霊や祟りから逃れた」
などという涙の手記もバンバンと出版していただきましょう。
こちらは文字通り「ゴーストライター」の皆様に活躍していただきます。
文句が出そうな宗教団体の皆様には、不幸にしてお子様に恵まれない
善良な御夫婦のための「祟り逃れ法要」の特権を与えます。

「子供を殺すと祟られる」・「子供がいると祟りから免れる」
全国的にこのキャンペーンを広げてゆくことで少子化対策はばっちりです。
若い世代にはアイドルグループが「祟りのベイビー」などというヒット曲を浸透させ、
結婚を嫌がる若者達には
「どうする?祟りは身に覚えがなくても来るかもよ」などと説き結婚・出産を促す。
子だくさんの歌手はヒット曲に恵まれ、スポーツ選手は成績を上げる。
独身の有名人は次々と不幸な目にあい、
結婚して子供が出来たとたんに奇跡の復活を遂げる・・・
このあたりの仕掛けはマスコミニュケーションにとってはお手の物でしょう。

それでも財政がどうにもならない場合は仕方ありません。
「実は70歳以上の老人にはまったく祟りのエネルギーの無い事が判明しました」
と発表し、
どうしても殺しがやりたい方々の方向性を向ける事で一石二鳥の・・・

[No.161]今日の授業 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/06/05(Mon)-21:37
「はーい、よいこのみなさーん。今日は歴史のお勉強をしましょうね
 いまからずーっと昔、みなさんのひいお祖父さん、ひいお祖母さんの時代、
 空から沢山の焼夷弾が落ちてきました」
「せんせいーっ、焼夷弾ってなんですかぁ?」
「焼夷弾って言うのはですね、爆弾の一種なんですが破裂するんじゃなくって、
 町に落として火事にしちゃう為の爆弾ですねー。落ちたら油が広がって
 燃えるものをナパームといって、金属反応で水の中でも高温で燃えるものを
 エレクトロンって言います」
「水の中でも燃えるんですかぁ?」
「そうです、水がかかるとますます激しく燃えるというすごい爆弾ですー。
 これは、日本人が発明したんですよ。でも、自分達の頭の上に振ってくる
 なんて想像はしていなかったんです」
「あー、知ってるーっ。うれしがって構造を新聞記者に言っちゃったんですよね」
「そうですね。なにも考えてなかったんですね。そしてこの焼夷弾の事を米英の
 兵隊さんたちは「モロトフのパンかご」って呼んでいたんですよ」
「変な名前ー」
「そして、戦争に負けてからしばらくして、
 今度は皆さん方のお祖父さん・お祖母さん達が、
 その焼夷弾を小さくしたやつを作ってを街の中で投げ合っていました」
「ええーっ!何でそんな事したの?」
「当時みんながあこがれていた米国の若者達が新しい戦争をしていたのですが、
 戦争に負けた国は参加させてもらえなかったんですね。だから
 自分達もマネしたかったんでしょう。そして、この小さな焼夷弾。
 「火炎瓶」っていうんですが、みんなは「モロトフ・カクテル」って呼んでいたんですよ」
「またモロトフなんですね。せんせーっ。モロトフってなんなんですかぁ?」
「はい、モロトフと言うのは人のお名前です。ロシアの昔話にでてくるヒトですね。
 不思議な赤い国にまぎれこんじゃったモトロフちゃんが、お供につれた
 神出鬼没のチェーカー猫と一緒に怪物たちを粛清してゆくお話です」
「せんせーっ。チェーカー猫ってどんなねこなんですかー」
「チェーカー猫は不思議な猫なんですよ。みなさんはその名前だけを
 知っているだけでいのです」
「あ、ボク知ってる。チェーカー猫ってね・・・ふぎゃっ!」
「せんせーっ。トロツキー君が詰襟服のヒトに外に連れ出されましたぁ」
「・・・・・あら、トロツキー君なんて子はこのクラスにはいませんよー。
 あなたの勘違いです。わかりましたね。」
「・・・・せんせいゴメンナサイ。自己批判します」

「さて、火炎瓶のお話でしたね。
 火炎瓶にも焼夷弾と同じように種類がありました。東大型・京大型・日大型
 の三種類です東大型がナパーム系で京大型がエレクトロン系でした」
「日大型はどんなのですかぁ」
「日大型は、ガソリンを入れた瓶にぼろ布つっこんで火を付けて投げるだけという
 きわめて簡単な方式です。
 でも、自分自身が火だるまになりかねない危険なシロモノです。
 作るにオツムは要らないけど、使うにゃ身体を張らなきゃならないという、
 とっても日大らしい火炎瓶ですね」
「火炎瓶って作るの難しいんですか」
「そうですね、東大型、京大型を作るには少し手間が要りましたが、当時は
 「球根栽培法」や「栄養分析表」ってとってもいい教科書がありました」
「せんせー。それで火炎瓶ごっこはどうなったんですか」
「はい、火炎瓶投げごっこは二三年で流行らなくなってしまいました。
 若者はいつも時代の先端を走っていますからね。
 みなさんも流行に乗り遅れないように注意しましょう」
「はーいっ」

[No.160]丸缶 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/06/03(Sat)-22:40
軍靴。
歴史を調べると、
1870年に、兵部省の「皮革製造用達申付候事」を受け、製靴工場が
小石川関口水道町に開かれたのがはじまりのようです。
と、言う事はちすの愛する土方歳三サマが愛用されていた長靴は
唐来物って事ですネ。さすが思想より現実の合理主義者。

なーんてネタではなく、
靴と言えば「靴磨き」
来週、その靴磨きの記念碑が生誕100年をむかえます。
「キィウイ印の靴クリーム。通称「丸缶」」
下駄箱を開けて「ああこれか」って呟く方は多いでしょう。
缶の横に付けられた開缶用のトンボ金具。カルナバ蝋の特有の香り・・・
磨き上げた靴の耀き。やはり、これは「丸缶」じゃないとネ。
生誕100年が短いのか長いのか・・・
ただ、ちすのブーツ達はこの「丸缶」じゃないと耀いてくれません。
皆様のお家の下駄箱に「丸缶」はございますかぁ?
 <(なんか宣伝みたいになってきた・・(爆))

ちなみに「丸缶」、
敗戦後販売された価格は1ドルだったそうです。
当時のレートで360円・・・高ぁっ!!
で、現在の販売価格も同じくらい。
ひょえーっ、卵以上の価格の優等生だったんですね。

仕事用の短靴。
ちすは兵部省軍靴生産の桜組の流れをくむ
日本製靴株式会社の「丈夫だが重い」シューズを愛用しています。

[No.159]軍靴 投稿者:ちーままのだい 投稿日:2006/06/03(Sat)-22:04
「軍靴の音が聞こえる」
なーんてね、最近またまた耳にする言葉です。

気がつかないのだろうか?
もう言葉が死んでしまってることに
だから届かないんですよ。

聞いてみたいものです
本物の軍靴の音
言っておきたいのですが、これは比喩でもなんでもないですよ。
本当に音が聞きたいと思ってるだけ。
私の好みは海軍の短靴なんですけどね
革脚絆なんかも捨てがたいですよね

あ、「軍靴の音が聞こえる」なんて言ってるヒトに限って
「ぐんくつ」なんて言ってないですかぁ?(大爆)

[No.157]Z旗掲げて 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/05/26(Fri)-23:42
明日は日本海海戦記念日
日本海海戦とかってーと、大抵は「丁字大回頭」や「下瀬火薬」あたりが
ネタになるようですが、
実際にこれらは日本海海戦の時に初めて使用されたわけじゃあないようです。
んなもん、思いつきで敵前回頭やって成功するほど世の中甘くはありません(笑)

では、なにか初めてのモノってないかなぁって探していたらありました。
哨戒艦「信濃丸」が「敵艦隊見ユ、456地点、信濃丸」って打電した三六式無線電信機。
これって日本で実用に使われた初の軍用電信だったそうです。
それまでに三四式ってのが試用されたみたいですが全然電波が飛ばず、
使い物につかいものにならなかったのを改良して、到達感度150kmを成し遂げた
ってんですから凄いものです。
ちなみに、当時軍用無線は暗号が使われており、
「敵艦隊見ユ、456地点、信濃丸」は
「タタタタ モ456 YRセ」って打電されたということです。
と、何もそういうネタを書き連ねてもそれじゃあ鬼遊笑覧じゃないっ!
もう1つありましたです。日露戦争のお初なもの。
で、当然ながら大爆笑なもの・・・・

と、言う事で
帝国海軍がなかったことにしちゃった爆笑の秘密兵器「無線誘導魚雷」のお話ですー。

さてさて、なんとか日本海海戦を乗り切った帝国海軍ですが、
んなもの、運がよかっただけってーのは充分自覚していました。
勝ったところでまた攻めてこないとは限らない。
革命工作を一生懸命やっておられる明石元二郎情報参謀にだけ
後始末を任せておくにはいかない。
そこで、
帝国海軍はとある新兵器を米国に発注しました。
技術者が抱えて持ってきた新兵器は、なんと発明されたばかりの無線誘導の魚雷。
「こいつを使って対馬海峡を通過する露西亜艦船を攻撃しよう」
って目論んでいたようです。

「夢の必中魚雷。しかも無線誘導」いやいやそそられますねー。
なんせ魚雷にしろ無線にしろ当時の最新技術でした。
なんたって前述のように、
その無線のおかげで日本海海戦に勝てたようなもんなんですから。
期待に胸が膨らんじゃってマァ・・・ってやつです。
その無線誘導魚雷ですが、どんなんだったかってーと、
圧縮空気で動く冷走魚雷の上にフロートくっっけて、そいつが電波を
受けて操作するという、オンブバッタのような形状のものだったみたいです。
操縦は高台から魚雷を双眼鏡で追いながら行い、
「−」で起動、「・−」で面舵、「−・」で取舵、「・・・」で加速、「−−−」で減速
とまぁ、よく考えられたものでした。
原理的にはネ・・・(爆)
はい、アタマに絵を思い浮かべられると判りますよねー。
「こんなもん、どう使うねんっ!」って・・
えー、
海軍水雷学校で行われた試用実験の記録によりますと、
「有害なる事象多々あり」と・・・(笑)

その1:「操縦者から見えていないと操縦できない」
    うーみゅ・・・それって操縦者がめっちゃ危険だぞ。
その2:「構造上、とっても波に弱い」
    そりゃぁ水面にアタマ浮かべて進んでるんですから。
その3:「でもって、めちゃくちゃノロマ」
    潜水艦だって沈んでないと遅いんです。
    その上水面にアンテナ出して進んでいるワケですから・・

特に「ノロマ」ってのは致命的で、発車された魚雷を水雷艇が追い抜いたってんだから
もはや魚雷じゃないですネ(笑)
と、いう事で魚雷の無線誘導をあきらめた帝国海軍はその後、
もっととんでもない「ヒト誘導装置」を九三式酸素魚雷に採用しちゃいます。